怒りは不要である

【怒りは不要である】

他人に対して怒ったり、感情的な言葉を投げかけてしまうのは、相手より優位に立ちたい、相手を屈服させたいという感情があるからです。

本来、自分の意見が正しいと思うのであれば、他人がどんな意見であれ、そこで完結すべきです。

ところが、怒りをあらわにしてしまう人は「自分の誤りを認めること」を「負けを認めること」と勘違いしてしまいます。

よく、「怒らない方がいい」や「怒りを我慢する」「コントロールする」という言葉を耳にしますが、

そうではなくコミュニケーションにおいて怒りの要素は不要であり、我慢する必要もコントロールする必要も無いのです。

そもそも、会話に怒りが発生した時点で健全なコミュニケーションはできません。

各々の主張を言い合ったり、互いの意見を聞くという目的ではなく、どちらが「怖い」か、どちらが「強い」か、どちらがより「威圧」できるかという競争になってしまうからです。

僕たちは怒りを用いずとも言葉で意思疎通が出来ます。

これは大人同士であれば当然ですが、僕は子供の前に立つ大人代表として、彼らに対しても健全なコミュニケーションを意識していきます。

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