和尚になった泥棒

【和尚になった泥棒】

今日はある逸話をご紹介します。

その昔、絶対に捕まることのない一流の泥棒がいました。

その泥棒はあるお寺の金の仏像を盗もうと企みます。

彼は一流の泥棒ですから、すぐに盗みを図ろうとはせず、自分が泥棒であることを周りに知られないために、まずはお寺の中で修行することにしました。

1年が経ち、泥棒は「そろそろ盗もうかな」と思い立つのですが、「ここで失敗したら仏像を盗むことが目的だったとバレてしまう」と、もうしばらく修行を続けることにします。

泥棒はその後も修行を続け、経を読んでいるうちに10年が経ちました。

そろそろいいだろうと思ったものの「ここで捕まったら、これまでの10年が無駄になる」と、さらに修行を続けました。

30年が絶ち、泥棒はそのお寺の住職になっていました。

お寺のものは全て住職のものになったため、やがて彼は仏像を盗むことさえも忘れてしまったのです。

様々な解釈ができるお話ですが、僕はこれを読んでこう思いました。

きっと泥棒は、かなり早い段階で仏像を盗もうという気持ちが無くなっていたのではないかと。

始まりがどんな目的であっても、何か物事を始め、それを続けていくうちに、人は本当に大切なことや、自分のやりたいことにだんだん気づいて行くのではないでしょうか。

泥棒とは「欲」のために「奪う」存在であり、僧侶とは「欲」をコントロールし「与える」存在でありますから、正反対の環境に身を置いたわけです。

ですから、大切なのは行動すること、環境を変えたり、新しい物事を始めることです。

「自分の本当にやりたいことは何だろう?」と、頭で考えるだけで行動しなければ、結局自分の生きがいを見つけることは出来ないのだと思います。

僕の解釈以外にも、例えば「良い環境に身を置けば、犯罪者も良い思想に変わっていく」や、

「30年も同じことを続けていれば、始めた当初の目的なんて忘れてしまう」という捉え方もできるかもしれません。

皆さんはどんな捉え方をしますか。

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