敗北の価値
【敗北の価値】
近年、勝敗をはっきりさせたり順位をつけること、他人と比較することは「悪いこと」のようになっています。
例えば、ある保育園では、運動会のかけっこでは順位をつけず、全員の首に金メダルがかけられます。
金メダルというのは、本来、最も優れた個人、あるいはチームに送られる栄誉ですが、
「比較=悪」という考え方のもとでは、全員に金メダルをあげないと問題(不平等、差別、可哀想)になってしまいます。
では、子どもの視点になって考えてみましょう。
「みんな1位だよ」「全員金メダルだよ」と言われて本当に嬉しいかどうかをです。
次からも頑張ろうと思えるでしょうか。
自分に自信を持ち、他者を尊敬する心を持てるでしょうか。
悔しさを味わうことができるでしょうか。
喜びを味わうことができるでしょうか。
きっとそんなことはありません。
「みんな1位だよ」という教育は、裏を返せば「1位以外はダメ」というメッセージにもなりかねません。
大人にそのような意図が無くても、子どもの立場になればそう捉える気持ちが分かるはずです。
「最下位の子が可哀想」ということはありません。
「負け=悪」「最下位=無価値」という考え方があるから、敗者を憐れむ感情が生まれるのだと思います。
敗北は経験です。
本人にとっては悲しい物事かもしれませんし、その分野においては自信を失うかもしれません。
しかしその悔しさも含めて、その子しか味わえない価値です。
勝ち続ける人生などありません。
同じように、子どもの頃に「何をやってもダメ」と本人が感じていても、負け続ける人生など無いのです。
敗北を知っている人は強くなります。
かけっこで最下位になって、その子が損をすることなどありません。
自分は足が遅いことを自覚して、その子が存在価値を下げることも決してありません。
もしその子が「私はダメなんだ」と感じるとしたら、負けたのに金メダルを渡された時だと思うのです。
さて、こんなことを言ってはいますが、園の運動会で参加賞(努力賞)という意味で金メダルをかけるのは一般的ですから、それを悪いことだとは思いません。
その上で、「比較、敗北、評価=悪」という考え方が見直される社会を僕は望んでいます。