標準化を疑うことができるか

【標準化を疑うことが出来るか】

僕たちの生きる社会では、あらゆる物事が標準化されています。

例えば、教育カリキュラム、勤務形態、政策、健康法などです。

物事が標準化される理由は、人それぞれの平均値を元に考えるからです。

しかし、標準化された方法は多くの人にとって効果的ではありません。

人間は一人ひとりみな違うからです。

体格も、知能も、長所も、短所も、経験も、興味も、あらゆることが異なります。

ですから、人の多様性を無視してはならないのです。

僕の仕事では、毎時間全く異なる生徒を相手に授業をしています。

大まかな授業の流れは統一していても、実施する技、説明の方法、使う言葉の種類、声の大きさ、トーンなどは全て変えています。

また、この子には冗談が通じるとか、この子は繊細だから優しく対応するとか、この子は子ども扱いしないではっきり伝えた方がいいなどの要素もあります。

人を相手にしている以上、物事は標準化できません。

確かに物理的に難しい場合もありますが、僕は可能な限り多様性を尊重した関わり方を意識していきたいと思います。

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