不自由の先にあるもの

【不自由の先にあるもの】

言うことを聞かない牛を牧草地で飼っています。

牛のまわりに狭いフェンスを立てて閉じ込めれば、牛は自由を求めて暴れ出します。

本当にすべきは、牛に十分なサイズの牧草地を与えて、どれだけ自由に動き回っても問題が起きないようにしてあげることです。

ここで言う「牛」は、子供に置き換えられます。

子どもはいたずらをしたり、故意でなくとも親を困らせたり、他人に迷惑をかけてしまったりします。

親は外出先で常に子供に目を光らせなければなりませんし、家の中でも制限をかけ続けなければなりません。

気づけばほとんどのコミュニケーションが指摘や叱責になっていたとしたら、とても恐ろしいことです。

僕たち親の課題は、どれだけ子供に自由を与えられるかだと思います。

子供を自由にしたらダメな子に育つと思っている人がいるかもしれませんが、それは違います。

どちかと言えば、不自由に育った子が道を踏み外すのです。

自由と隣り合わせにあるものは『責任』ですが、不自由の先にあるのは『無責任』だからです。

子供にとっての十分な牧草地とは何なのかを考えていきたいですね。

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