人間らしさの価値

【人間らしさの価値】

今やAIは私たちにとって身近な物となりました。

ある意味でこれは人間の知能を超えており、私たちの求める答えを、私たちにとってより都合が良い形で提示してくれます。

あるスマートフォンのCMで、こんなものがありました。

カップルがスマホでサッカー観戦をしているのですが、そのスマホではAIとの会話も同時に起動されています。

女性が「今のは何?」と呟くと、男性の会話を遮ったAIが「今のはオフサイドという判定です」と話し始めます。

女性が「ユニフォームかわいい!」と呟くと、AIが「このユニフォームならネットで◯◯円です」と答え、さらに「次の試合で着たい」と言うと、「次の試合は◯月◯日にあります」などと的確な情報を即座に提示します。

最後には、男性が悔しがりながら「やるな、(機種名)!」と捨て台詞を吐くというものです。

まさにこのCMのように、「正しい情報」が欲しければ人に聞くよりAIに聞いた方が正確です。

正確なだけではなく、説明のわかりやすさや、答えを導き出すスピードも人間では敵いません。

少し話が逸れますが、「ローブナー賞」という、人工知能がどれだけ人間らしく会話ができるかを競うチューニングコンテストがあります。

これは2019年に終了しているのですが、コンテストの審査方法はこのようなものです。

多くの被験者が集められ、彼らはタイピングで人間かAIのどちらかと会話をします。

その相手が人間だったかAIだったかを尋ね、より多くの被験者が「人間だった」と答えたAIが、ローブナー賞に輝くというものです。

ところでこのコンテストには、もう一つの賞があります。

それは、「最も人間らしい人間」に贈られる賞です。

ある年の受賞者はチャールズ・プラットでした。

彼の話し方が感情的にリアルだったからでしょうか。

それとも語彙が豊富で、微妙なニュアンスが人間らしかったからでしょうか。

違います。

プラットは「不機嫌で、怒りっぽく、けんか腰」だったからです。

おろらく、人間らしさの所以とは私たちの欠点に他ならないのです。

このAI時代、平凡な正しい人間を目指すことにきっと大きな価値はありません。

そういう人間を育てるようとすることにも抵抗を持たなければなりません。

私たちは「人間らしい人間」を育てなければならないのです。

失敗を繰り返し、感情で行動し、時に過ちを犯し、人を傷つけ、落ち込み、後悔する大切さを教えていかなければなりません。

もうずいぶんと、AIは人間らしくなりました。

彼らは会話に抑揚をつけるだけでなく、たどたどしく話したり、言い間違えて謝ったりもします。

これからもっと人間らしさを手に入れていくでしょう。

私たちは、一人一人が持つ欠点を見つめ直さなければならない時代に突入しました。

子供の欠点を”伸ばす”教育にこそ、力を入れなければならないのです。

子供たちは自分より、親よりも優れた知能を持ったAIと共に成長していきます。

AIに教えられないこととは何でしょう。

私たち親が、人間として伝えられる物事とは一体何なのでしょうか。

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