なぜ雨の日に喜べないのか

【なぜ雨の日に喜べないのか】
私たちの生活は、どんどん豊かになっています。
凄まじい勢いで苦痛が解消され、同時に快楽的なサービスが次々と生み出されています。
そんな便利な世の中で、私たちは考えなければならないことがあります。
それは、自分にとって都合の悪いことが、本当に悪いことなのかということです。
雨が降ったとします。
「なんだ雨かよ、最悪。」
これは実に狭い世界、自分の目に見える世界に閉じこもっている人の考えです。
「今日は雨か。ちょうど読みたい本があったんだ。」
これは前向きな考え方ですが、それでも自分の見える世界の話です。
もの凄く極端なことを言えば、雨が降らなければ私たちは生きていけません。
雨とは大自然の循環です。
もしかしたら「雨なんて降らなくても、水道から水が出る」と思っている人がいるかもしれませんが、自然の循環がなければ、水道から水は出ませんし、食べ物も無くなります。
昔の人は雨乞いをしました。
神仏に「雨を降らせてください」と願ったのです。
雨が降らなければ人は生きていけないということが、目に見える世界としてそこにあったからです。
話を戻します。
私たちの生活は豊かになりました。
その快適さは時に、不快を許さないマインドを植え付けます。
雨を例に挙げましたが、もっと複雑な不都合が私たちの身には降りかかるでしょう。
子育てなどまさに不都合の連続ではありませんか。
子供がすることは、親にとって都合の悪いことばかりです。
悪戯をし、嘘をつき、喧嘩をし、物を壊します。
しかし、よくよく考えてみれば、それは雨が降っているのと同じことなのです。
見えている部分だけを評価すれば、子供は親にとってどんどん都合の悪い存在になります。
見えない世界を見なければなりません。
子は親に、何を与えてくれるのでしょう。
彼らの雨は、人が人を育てるという循環は、私たちにどんな恵みをもたらしてくれるのでしょうか。


