間違えることに価値がある

【間違えることに価値がある】

もしも結果が全てだとしたら、いずれ人間の判断で物事を考えることは無価値になります。

AIでいい。

人間の思考速度も大したものですが、結局そこから導き出される結論は、個々の経験や知識に依存します。

AIが持っている情報量は人間の比ではありません。

そこから導き出される回答は、人間が何時間も何日も熟考した末に辿り着いた回答よりも、はるかに精度が高く綿密です。

しかも、情報の整理にかかる時間は数秒ときたものです。

つまり、「人間」と「AI」どちらがより良い回答を出せるかで対立したら、人間は敵わないということになります。

仮にまだAIの精度が人間に敵わない分野があるとしても、逆転するのは時間の問題です。

では、何に価値を見出すのか。

その回答は、「人間が考えた」という事実です。

例えば、上司が部下に業務上のリサーチを依頼したとします。

この時部下が、上司からの質問をそのままAIのチャットに打ち込み、AIの回答をそのまま上司に報告したとしたら、これはもはやコミュニケーションではありません。

上司の気持ちになるのなら、「それなら最初から君に聞かないよ」です。

疑問に対する答えだけではありません。

あらゆる物事において重要なのは、結果ではなくプロセスなのです。

「どれだけ一生懸命やったか」

「誰が考えたか」

「何度失敗したか」です。

私たち人間の価値は『人間らしさ』にこそあります。

間違えることに価値があり、非効率的に生きることに意味があります。

便利なものを使うことも、ロボットも、AIも否定しません。

それを生み出したのは人間なのですから。

ただ、私たちは不完全な存在です。

だから良いのです。

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