私と私以外はどれだけ違うのか

【私と私以外はどれだけ違うのか】
子供には一人一人、得意・不得意があるというのは、言うまでもないことでしょう。
しかし実際には、その特性は非常に複雑で、正確に理解するのは簡単なことではありません。
子供のタイプというのは、脳の使い方、情報処理の仕方の違いなのです。
「言語の理解」を例に考えてみましょう。
何かを教わる、学びを深める、疑問を持つ、創造する、これらは全て言語の理解があってこそです。
だからこそ、学校教育において「国語」が全体の4分の1を占める最重要科目なのです。
では、言語理解のタイプを見ていきましょう。
子供の中には、会話だと内容を理解できないが、文章だと正確に理解できるという子がいます。
反対に、文章はなかなか頭に入ってこないが、音として言葉を聞けば理解できるという子もいます。
また、長い説明を聞いた時、その要点を取捨選択し、理解を深めることが得意な子もいれば、
長い説明を聞くと、内容がチンプンカンプンになってしまう子もいます。
さらに、抽象的な表現で理解できる子もいれば、具体的であれば理解できるという子もいます。
これは、国語力がある・ないという枠組みではありません。
「国語力がある」と判断されても、会話だと内容が全く理解できないという子も存在するのです。
つまり、文法力、語彙力、読解力、表現力、全てが備わっていて、国語のテストをすれば満点を取れるような子であったとしても、対人コミュニケーションでは聞き間違いや、意味の取り違いをしてしまうということがあるということです。
これが、人という生き物です。
今回は、言語理解における、ごく一部の違いを挙げたに過ぎません。
このような違いが、あらゆる物事において存在し、それらが複雑に統合して人の『個性』というものは形作られています。
だからこそ、他人を理解するというのは難しいのです。
「これぐらい分かって当然でしょ」という感覚を持っていたとしても、相手からすれば非常に難しいことかもしれません。
子供と接する時も、「自分が子供の頃はこれぐらいできた」と自分軸で関わると、すれ違いが生じます。
例え我が子であったとしても、自分とは全く異なる脳の回路を使って物事を捉えています。
自分と他人は、これほどまでに違うのです。
とても、神秘的な話ではありませんか。
だからこそ、人と人の関わりは面白く、教育というものは、やりがいがあるのだと思います。


