私は嘘つきです

【私は嘘つきです】

自分でこう言う人がいるとします。

この人は嘘つきか、それとも嘘つきでないか。

嘘つきだとすると、「私は嘘つきです」という言葉も嘘なので、正直者ということになる。

でも、正直者なら、この言葉も正しいはずなので、やっぱり嘘つきということになる。

エピメニデスの逆説というやつです。

さて、嘘は悪なのか。

私はそうは思いません。

私は日常的にたくさん嘘をつくことがあります。

きっと皆さんも、嘘をつかなければうまくコミュニケーションを取れない場面があるはずです。

例えば、私たちは「太陽が昇る」と表現します。

子供に対して「太陽は東から上り、西に沈む」と教えるかもしれません。

しかし、真実を言うのなら、動いているのは地球の方です。

「地球が自転した結果、太陽が見える」と言わなければなりません。

「毎日元気に学校に行く」という表現も、実際には違います。

土日は休みですから、「5日連続で学校に行き、2日休むのを繰り返す」などと言うのが正確かもしれません。

このような不正確な言葉の使い方も、嘘と言えば嘘です。

では、こうした表現が不適切かと聞かれたら、そう考える人は少ないでしょう。

こんなのは、屁理屈だとすら思うはずです。

なぜなら、「地球が自転した結果、太陽が見える」ことを踏まえて、「日が昇る」と表現しているのであり、「土日は休み(定期的に土曜授業が組み込まれる)」であることを踏まえて、「毎日学校に行く」と表現しているからです。

これらはある意味、共通認識としての嘘ですが、もっと意図的に嘘をつく場面もあります。

例えば私が、生徒から「先生の人生のゴールは何?」と聞かれたとします。

その質問に対する私の答えは「死」です。

「いろいろあったけど、良い人生だった」と思いながら最後の瞬間を迎えること、それが私の人生のゴールです。

しかし、それを子供に伝えることはしません。

とてもセンシティブな話だからです。

低学年の子であれば、「風船で空を飛ぶこと」と言うかもしれません。

高学年の子には、「孫の顔を見ること」と言うかもしれません。

きっと皆さんも、このように時と場合、相手を選んで言葉を使うのではないでしょうか。

相手の理解力を考慮し、相手の尊厳や感情を守るために、必要であれば嘘をつくのです。

それを「悪」と断定できるのか。

そんなことは決してありません。

少なくとも私にとって、相手のことを想った嘘は「正義」です。

そして、このような愛ある嘘が存在するからこそ、コミュニケーションは成り立っているのだと思います。

「我々は嘘をつくべきだ」とまでは言いません。

「人は嘘をつけなければならない」とも言いません。

しかしながら、自己を守り、他者を尊重する上で、「嘘」というものが、人類が身につけた武器であることは間違いありません。

では、「ついていい嘘」は何なのか?と考えると、その論争は果てしなく広がっていきます。

自分にとっては「ついていい嘘」でも、相手にとっては「ついてほしくない嘘」かもしれません。

それでも私は教育者として、子供には「素直さ」「誠実さ」だけでなく、自分の正義に則り「嘘をつく力」も身につけて欲しいと思っています。

皆さんは、どう考えるでしょうか。

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