心が先なのか、現実が先なのか

【心が先なのか、現実が先なのか】
前回のブログで、私は見えている世界(現実)を変えるから、見えない世界(心)が変わると言いました。
例えば、心が沈んでいる時に笑顔を作る(見る)と、不思議と元気が出てきたり、幸せに気付けたりするということです。
これは、脳科学的な視点からの見解といえます。
しかし一方で、「見えない世界を変えるから見えている世界が変わる」つまり、「心が先、現実が後」という事例も存在します。
今日はこれを心理学的、もしくは哲学的、いや自己啓発的でしょうか、何にせよ別の視点から考えてみようと思います。
まず、「現実が先、心が後」というのは、どういうことか。
簡単に言えば、「プレゼントをもらったから嬉しい」「失敗したから悔しい」などということです。
これは、「現実に心が振り回されている」状態と言えます。
自分で自分の心をコントロールしていません。
自分が幸せになるかどうか、不幸になるかどうかは、他人が決めているのです。
では、「心が先、現実が後」とは、どういうことか。
エピソード形式で、例を挙げたいと思います。
あるところに、なかなか友達ができない小学生の男の子がいました。
彼は「どうせ僕なんて話しかけても嫌がられる」と思い込んでいたため、休み時間も一人で過ごし、誰かに話しかけられても小さな声でしか返事ができませんでした。
その様子を見た周りの子も、「一人が好きなのかな」と感じ、次第に声をかけなくなってしまいました。
すると、さらに「自分は嫌われている」と心が決めつけるようになります。
ところがある日、その子は先生から「笑顔であいさつをするだけでも、相手はうれしいものだよ」と言われました。
そして、「嫌われているかどうかではなく、自分から相手を大切にしてみよう」と考えるようになりました。
翌日からは、自分から「おはよう」と笑顔であいさつし、休み時間には勇気を出して「一緒に遊んでいい?」と声をかけるようになりました。
すると、周りの子どもたちも自然と笑顔で応えてくれるようになり、一緒に遊ぶ仲間が少しずつ増えていきました。
その子も学校へ行くのが楽しみになり、毎日明るい表情で過ごせるようになりました。
「心が変わったから、現実も変わった」のです。
「現実が先、心は後」という考え方では、自分は待つことしかできません。
変えたい現実があったとしても、一生逃れられないかもしれません。
今よりもっと辛い現実がやってきたら、その分心も辛くなるだけです。
しかし、「心が先、現実は後」だと考えれば、世界は自由自在です。
プレゼントをもらった時、「こんなのもらっても嬉しく無い」と思うこともできれば、「私のために選んでくれて、なんて私は幸せなんだろう」と思うこともできます。
前者と後者、双方に同じ未来が訪れるとは思えません。
今、どういう心であるかによって、その後の現実は変わるのです。
今回は、「心」と「現実」の関係を、前回よりも深く考えてみました。
私は、ここで書いたことが正しいと言いたいわけではありません。
大切なのは、「考え方は自由で、人生は自分の力でコントロールできる」という、前向きな思いを持つことだと思います。
何を信じるのか、どう考えるのか、それは一人一人の自由な心が決めています。


