しつけの線引き

【しつけの線引き】

子供の「しつけ」とは、どうしてこんなにも線引きが難しいのでしょうか。

教えるべきことを教えなければ、「育児放棄」と言われ、やりすぎれば「過干渉」になり、やり方によっては「虐待」などと言われてしまうこともあります。

自由にやらせることと、育児放棄の線引きはどこにあるのでしょう。

一体どこからが過干渉で、どの程度が虐待なのでしょうか。

結論を言うと、線引きは自由です。

しつけは、その人が持っている善悪の道徳観が基準となります。

では、善悪の価値観を作っているものはなんでしょう。

それは『時代』です。

例えば、昭和の時代において「暴力」は正当な教育法です。

もちろん推奨はされていませんが、鉄拳制裁は愛情であり、子供の将来をより良くするために必要なものだと考えられていました。

「家で親父に殴られた」と言う子を心配する人はいません。

さらに言えば、戦争をしていた頃の価値観はさらに過激です。

この時代、何をした人が最も讃えられ、人々から認められ、勲章を得るでしょうか。

答えは、人をたくさんあやめた人です。

このように、気に入らない人の命を奪うことすら、正当化されていた時代が、私たちの住む日本にも確かにあったということです。

これほどまでに、善悪の価値観は、たった数十年で一変します。

まず、私たちはこのような、変化の真っ只中において、育児をしているという事実を受け止めなければなりません。

ですから、しつけの基準は、大元を辿れば、時代が決めているのです。

文句を言っても仕方ありません。

その上で、しつけをするのは親です。

親は具体的に、何をもって、しつけにあたれば良いのでしょうか。

私の答えは、常に「これをしたら(しなかったら)どうなるか」を考え続けることです。

「この教育は、今の時代に必要か」

「今これを伝えなかったら、子供は将来困るか」

「これをやらせた時、子供の将来に悪影響はあるか」

ここで重要なのは、他人にどう思われるかは関係ないということです。

例えば、「暴力をすると虐待だと他人から思われる」から暴力をしないのではなく、「暴力は今の時代に不要だと親が判断する」から暴力をしないのです。

しつけの線引きは自由です。

しかしそれは、「何をしても良い」という意味でも、「考えなしに周囲の意見に合わせる」という意味でもありません。

『そのしつけにどんな意味があるのか』を考え抜いた先に、自信にあふれた親の態度があるのです。

自分の価値観に沿った、一貫性のあるブレない態度を持った親に、子供が振り回されることはありません。

私たちの価値観は、時代と共にあります。

漠然とした、「これは言った方がいいよな」「これはダメだな」という感覚は正しいものです。

その漠然とした感覚に、確信を与えるのが親の務めであり、しつけの本質なのではないでしょうか。

そうした中で、親も人間ですから、間違えることは全く問題ありません。

時に、自分の価値観から逸れたしつけをしてしまうことは、誰にでもあります。

そんな時は、間違った自分を責めるのではなく、態度を改め、必要であれば子供に謝れば良いのです。

間違えながら、悩みながら、子供と、自分自身と、そして時代の流れと向き合っていきたいですね。

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