寛容になるとはどういうことか

【寛容になるとはどういうことか】

私は、寛容な人間になりたいと望んでいます。

狭量な人間で良いとは思いません。

そう考える理由は、その方がストレスが少ないと思うからです。

例えば、自分と違う価値観を持つ人の意見を聞いた時、不快感や嫌悪感を抱かないということです。

「価値観」というのは、その人の「しっくり」です。

価値観といえば、最近聞いたものに「反出生主義」という考え方があります。

これはひとことで言えば、「すべての人は生まれてくるべきではない、また、子供を産むべきではない」とする思想です。

一般的には、過激な意見かもしれません。

私は、「自分が生まれてきてよかった」と感じている人間です。

つまり「出生主義」です。

しかし、反出生主義を学んだとき、その考え方に「しっくり」きている人々の心を否定はできませんでした。

これが、ひとつの「寛容になる姿勢」だと思います。

自分がどちらかの意見を持っているからといって、もう一方を批判するのではないということです。

批判の心が湧き上がる原因のひとつは、それをよく知らないからです。

つまり、人は知らないから寛容になれないのです。

「知った上で批判している」という人もいるかもしれません。

しかし、私はそれでも、批判の心が生まれるということは、まだ知らないことがあるのだと思います。

他人に対して、「許せない」「なんてやつだ」と感じるのは、きっと相手を知らないのです。

その人の生まれた時点から今日までを、知らないのです。

どんな家庭環境で、どんな言葉を聞いて育ち、どんな人と出会い、どんな時代背景を生きたのか、もしもそれらを完全に知ることができたのであれば、その人に対する批判の心など生まれようがありません。

ですが、他人を完全に知ることは、私たちにはできません。

だから尚更、その相手に対し寛容になることができます。

寛容な人間になるための道筋は、学び続けることしかありません。

違和感を感じた時こそ、批判の心が芽生えた時こそ、逃げずに向き合わなければならないのだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です