多すぎる情報に振り回されるぐらいなら

【多すぎる情報に振り回されるぐらいなら】
先日、興味深い意見を聞きました。
これは、私がずっと疑問を持っていたことです。
私は、子育てや教育を学び、何が子供の将来のためになるのか、その本質を追い求めてきました。
一般的に「こうである方が良い」と言われる子供への接し方は、時代と共に変わってきました。
極端なことを言えば、子供は拳骨で育てるのが昔流です。
親は子より偉く、決して逆らってはならない。
どれほど理不尽であっても、子供は親の言うことを我慢して聞くものでした。
それに対し現代はどうでしょう。
子供の意見は尊重すべきであり、どんなことがあっても暴力はすべきではないことを、どの親も心得ています。
怒って教えるより丁寧に諭した方がよく、否定するより共感した方がよいことを多くの大人たちが学び、できる限りそれを実践しています。
もしも、昔のような育て方をしたのなら、子供がダメになってしまうだろうと、容易に想像します。
ここで一つの疑問が生じます。
だとしたらなぜ、昔流の教育を受けてきた私たちや親世代、さらにもっと上の世代の方々は、ダメになっていないのでしょう?
現代では虐待だと言われるようなことを当然のように受け、時には罵倒されながら物事を覚え、正当性よりも年功序列が優先される理不尽に耐えた先人たちが、立派な大人となって社会に貢献し、場合によっては若い世代から尊敬され、その幸せな人生に幕を下ろしていく現実を、どう説明すればよいのでしょうか。
これに対する、ある意見を聞いた時、私は納得をしました。
ひとことで言えば、昔の親は「自信があった」のだと。
暴力をするにしても、理不尽を振りかざすにしても、そうすることが本当に我が子のためになるのだと、心から信じて疑いませんでした。
対して現代の親は、育児に「自信がない」といいます。
子供に怒っては自分を責めたり、コロコロと態度を変えたり、さまざまな「教育法」を試したりと、いうなれば「ブレている」のです。
そうなる原因は単純です。昔の子育ての方法は、「自分がされたようにする」か「自分の親に聞く」ぐらいしか、情報源がありませんでした。
選択肢が少ないから、ブレようが無いのです。
しかし現代は、膨大な情報が行き交っています。
「これをすると脳に良いの?」「こう言うと子供は自信をなくすって本当?」「これって虐待なの?」
このような多すぎる選択肢は、親の方針を容易にブレさせます。
親がブレていれば、子供は困惑します。
子供が困惑するのに、教育法は関係ありません。
親の態度が一貫しているか、ブレているかなのだと。
とても面白い見解だと思いました。
もちろん、これが全てではありませんが、こうした意見から学べることがあります。
何はともあれ、親は自信をもって育児をすべきなのです。
多すぎる情報に振り回され、何が正解かわからない中で、ブレブレの子育てをするぐらいならば、自分が両親にしてもらったことをそのままする方が子供のためになります。
されて嫌なことがあったのなら、そこは省けば良いでしょう。
親が自信満々であれば、少なくとも子供は「そういうものだ」と納得します。
情報が多すぎる現代においては、情報を切り捨てる勇気が重要になります。
子供とどう接するかは、他人が決めることではありません。
他人に何を言われようと、私たち一人ひとりが決意し、実行することなのです。


