自立の本質

【自立の本質】
自立の対極にあるものとは、何でしょうか。
その一つの答えが「依存」です。
成人前の子供は、親に完全に依存している存在です。
依存して良い存在だと表現することもできます。
どんなに反抗しても、遠ざけようと足掻いても、子供は親の存在なしでは生きられません。
けれども、成人を迎えたら話は変わります。
自分が生まれた瞬間から、今日まで依存し続けていた親という存在を、切り離さなければなりません。
もちろん、縁を切るのではありません。
「この人なしでは、自分は生きていけない」という、依存感情を切るのです。
ある哲学者は、成人を迎えた人間は何にも依存すべきでないと言いました。
友人、我が子、パートナーといった人間関係だけでなく、ギャンブル、嗜好品、お金、モノに対しても、依存の感情があるということは、その人が自立していない証拠なのだと。
ここで間違ってはいけないのは、誰かに頼ったり、誰かと協力したり、何かを活用したり、何かを嗜んだりすることが悪いのではないということです。
「それなしでは生きられない」「それがないと自分を保てない」という思いを批判しているのであり、決して孤独に生きることやミニマリストになることを言っているのではありません。
当たり前のように聞こえますが、深く考えればとても厳しい意見だと思います。
私たちは、助け合わなければ生きていけません。
協力し合うことで、より大きな物事を成し遂げることができます。
愛し合う営みがあるからこそ、心豊かに生きることができます。
けれども、そのどれにも依存してはいけないのです。
何かの拍子に便利な生活を失っても、愛する我が子が巣立っても、長年連れ添ったパートナーとの別れが訪れたとしても、私たちは自分の力で立ち上がらなければなりません。
それが、自立した大人の態度だと言うのです。
きっと人は、たくさんのものに依存し、それに依存していることに気づいては手放し、そうして成熟した大人になっていくのです。
狩猟最終民族の成人になるための通過儀礼には、高いところから飛び降りたり、数日間断食をしたり、毒を体に注入したりと、目に見えて苛烈なものがあります。
それらは、「大人になるというのは簡単ではない」という覚悟の表れです。
確かに、こうした儀式は非合理的かもしれませんが、真の自立というのは、私たちが想像する以上に厳しい道のりなのかもしれません。


