お酒を2年やめると

私は2年前、お酒を飲む人生に終止符を打ちました。
正確に言うと、2024年の4月8日を最後に、私は今日まで1滴も飲酒をしていません。そして、これからもずっと、まさに人生最期の瞬間が訪れるその時まで、決してお酒を飲まないと断言します。
私がなぜ、これほどまでに強い意志を持って禁酒を決断したのか。なぜ、今後も決して飲酒をしないと自信を持って言えるのか。まずはそのことについてお話しします。
そして次に、酒に溺れた男の禁酒生活が一体どのようなものだったのか。さらに、2年経った今、私の人生は禁酒によってどのように変容したのかを、お伝えしたいと思います。

これをお読みのあなたは、一体どのような思いでこのページを開き、どのような人生を送っているでしょうか。
もしかしたら、当時の私のように、お酒に縛られ、「やめたいけどやめられない」という状態をさまよっているかもしれません。
お酒を飲み続ける人生の先に何があるのか。一方、お酒をやめた人生の先に何があるのか。その一つの答えが、この記事にあります。

皆さんの進むべき道の手助けになれば幸いです。

飲酒のきっかけ

私がお酒に手を出した当時、「お酒を飲みやすい時代、地域の特性」があったことは、目を背けてはならない事実です。
私は東北の田舎の大学に通う学生でした。今から17年ほど前のその場所は、ひとことで言って「緩かった」のです。未成年でもお酒やタバコが当然のように買えましたし、居酒屋でもカラオケ店でも年齢確認をするところはほとんどありませんでした。
私が在籍していた部活は「全寮制」です。つまり、部員全員が親元を離れ、寮で4年間生活をするのです。年頃の学生が集まっているのですから、無茶な飲み方をすることもありました。部員の飲酒率(ここで言う飲酒率は「日常的には飲まないけど、飲み会があれば飲むという人」を含みます)はほぼ100%でした。

さて、未成年が飲酒をしていたという、取るに足らないことを言いたいのではありません。私が言いたいのは、それだけ身近にお酒というものがあり、お酒を飲み始めるハードルがとにかく低い、時代と地域の背景があったということです。

酒が強いやつこそかっこいい

私は学生時代、とにかく飲みまくっていました。
これも時代の影響かもしれませんが、「酒が強いやつこそかっこいい」という歪んだ思想が確かにあったのです。
40度のウィスキーをストレートで飲んでる人。
最初の乾杯の直後に中ジョッキを飲み干してる人。
どれだけ飲んでも潰れない人。
朝まで飲み続けられる人。
こういう人間になりたいという欲が確かにあり、そういう理想像を目指し、「酒は飲んだ分だけ強くなる」という希望を掲げ、日々修行のように飲酒を続けました。

そして社会に出てからも、その歪んだ思想は続いていました。
私の時代は、新入社員の歓迎会と言えば居酒屋が定番で、通過儀礼のように新卒者がイッキ飲みを強いられるのですが、飲まされる方もまんざらでもなく、「学生時代に鍛えられた自分の肝臓の強さをご覧にいれましょう」と言わんばかりに、豪快な飲みっぷりを披露します。そして、それを見た上司も、「今年は気合いのあるやつが入った」と満足するのです。
入社後も、毎週のように居酒屋や宅飲みで盛り上がり、次の日が仕事でも家で1人で飲みますから、まるで人生「仕事」と「飲み」しかしてないんじゃないかと思うような生活でした。

どれぐらい飲んでいたのか

そんな私の飲酒量を具体的に申し上げます。
これまで話した、学生時代から社会人2年目までに関しては、現役のスポーツ選手であったこともあり、毎日必ず飲むというほどではありませんでした。
例えば、チェック(練習試合のようなもの)がある前日は飲みませんでしたし、試合の前日も飲みませんでした。平均して、月に3日前後は休肝日があったと思います。
一度の飲酒で飲む量は、500mlの缶ビール2本に加え、焼酎や日本酒を2杯程度飲むのが最低ラインで、次の日が休みなら、缶ビールの量は4〜5本に及び、同時進行で焼酎や日本酒を飲みます。また、同僚と飲みに行った時は、中ジョッキで6〜10杯に加え、酎ハイ、日本酒、焼酎、ワインなどを飲み、2軒目、3軒目と続くこともあります。
このように、ハメを外すのは週に1回程度ではありますが、「自分は現役スポーツ選手である」という自覚が頭にあることで、まだ理性的に飲酒量をコントロールしていました(これをコントロールしていたと言って良いのかは疑問ですが)。

私は社会人3年目の春に、大きな怪我をしたことによって、23年の競技生活に幕を下ろしました。
平気なフリをしていましたが、ショックは大きく、酒に逃げるようになりました。
私の口実はこうでした。

「これまで我慢してお酒と付き合ってきたんだ。幼い頃から競技を頑張ってきた自分に、そろそろご褒美をあげてもいいだろう。もう、体重も体調も気にしなくていいんだ。ああ、やっと思う存分飲める。」

そして、私の飲酒量は爆発的に増加しました。
毎日500mlの缶ビールを6本飲むのが基本となり、それと同時進行で日本酒や焼酎、時には泡盛やウィスキーなどを飲み続けるというスタイルが定着しました。さらに、居酒屋に行った時の飲酒量も増え、何軒も行った後、帰り道のコンビニでビールを買い、家でもう一杯飲んでから寝るという馬鹿げた行動をとるようになりました。
一人暮らしの冷蔵庫はバーリアルという激安発泡酒で埋め尽くされ、台所の棚には大五郎、純、鏡月、黒霧島(芋)、いいちこ(麦)、その他リキュールや果実酒、ワイン、日本酒などが溢れかえり、「お前ん家何あんの?」と聞かれたら、「酒ならある」以外の回答が見つからないほど、お酒しか置いていませんでした。
それでも、長年の飲酒歴と、とてつもない飲酒量によって、私にはアルコールの耐性がついており、その体質と両親から授かった丈夫な体によって、こんな生活を続けているのにも関わらず「二日酔い」になることはほとんどなく、朝起きられないことも、日中眠くなることもありませんでした。つまり、お酒を飲むことによる悪影響を実感したことがなかったのです。

正直、私の体がもっと酒に弱く、あからさまな体調不良が起きてくれたら、もっと早くに「禁酒しよう」という決断ができたかもしれません。
しかしながら、私の体はいたって健康、体調も毎日すこぶる良く、仕事もアクティブにこなせていました。だからこそ、私はこのような常軌を逸した生活を、何年も続けることができてしまったのです。私は本当に、無知で愚かな若者でした。

酒の真実

私は心底、飲酒について考え無しの愚か者でした。いや、分かっていたけど、自分にとって都合の悪い真実から目を背けていたのです。
「お酒」のパッケージには、なんと書いてあるでしょうか。
「お酒は20歳になってから」「妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります」などと書かれています。つまりこれは、どう考えても”体に良い飲み物”ではありません。
では、20歳になったら無害なのか?妊婦でなければ無害なのか?絶対にそんなことはありません。子供や妊婦に悪影響があるのだとしたら、成人にも子供を宿さない男性にも何かしらの影響があるはずです。

厚生労働省によれば、アルコールによる健康被害の項目に以下のようなことが書かれています。
臓器障害: 肝疾患(脂肪肝や肝硬変)、すい臓の障害、高血圧など。
発がんリスク: 食道がん、胃がん、大腸がん、肝臓がんなど。
生活習慣病: 毎日の多量飲酒は脳卒中やアルコール依存症のリスクを大幅に高めます。
急性アルコール中毒: 短時間での多量摂取(純アルコール 60g 以上)は、意識障害などを引き起こし非常に危険です。

つまり、「体に悪い飲み物ですよ」ということが、国家レベルで明示されているわけです。
こうした情報は、誰でも知っています。義務教育の過程において、学校でも保健体育の時間にしっかりと学ぶのです。
それなのに私たちは、「まあ、大丈夫っしょ。みんな飲んでるし」という軽い気持ちで、この危険な液体を心ゆくまで体に流し込みます。
確かに、厚生労働省が基準としている”節度ある適度な飲酒”の1日あたりの目安は、『純アルコール量20g』と記載があります。ちなみに、「女性や高齢者、お酒に弱い人は10gが推奨」という文章も同時に書かれています。
では、これ以下なら健康被害はないのかと言えば、そんなことはどこにも書かれていません。書かれているのは、男性で1日平均40g以上、女性で20g以上の純アルコールを摂取し続けると、生活習慣病のリスクが高まるということです。
つまり、どんなに少量であっても健康被害のリスクはあるのです。その上で、「これぐらいを超えるとさらに危険だよ」と言っているのです。
この一連の文章が何を意味しているかお分かりになるでしょうか。

要約します。
「お酒は、誰にとっても健康に悪影響を及ぼすものであり、成長期の子供や、赤ちゃんを育てるお母さんはその影響を受けやすいため、特に注意が必要。それでももし、飲みたいというのなら、自分の体質に合わせて少量飲むならリスクは減る」です。

さあ、ここまでが国の行政機関である厚生労働省が国民に向けて発信しているいわば常識です。
ここからはさらに専門的な角度から、アルコールという毒物について考えていきたいと思います。

ビールやワインは健康に良い?

さて、ここまでお酒というものを批判しておきながら反対のことを言うようなのですが、「ビールは健康に良い」という話はあながち嘘ではありません。
なぜかというと、ビールの原材料である「大麦」「ホップ」「酵母」には、食物繊維、ビタミン、ミネラル、タンパク質などの良質な栄養素が含まれているからです。
しかし、「ビールは健康に悪影響を及ぼさない」と言えば嘘になります。なぜなら、『アルコール』が含まれているからです。アルコールは人体にとって非常に有害な薬物です。どれだけ大麦やホップが健康に良いとはいえ、同時にアルコールを摂取していたら、健康になりたいのか不健康になりたいのか分かりません。
また、「ワインは身体に良い」という話を聞いたことがある人は多いと思います。これも嘘ではありません。
ワインには「ポリフェノール」や「レスベラトロール」といった成分が含まれており、これらの適切な摂取によって抗酸化作用や抗炎症作用など、健康的な効果を得ることが出来ます。
しかしこちらも考え方は同じです。ワインにはアルコールが含まれています。しかも、アルコール度数はビールよりも圧倒的に高いため、確実に不健康です。例えるならば、湯を沸かしているケトルの中に、次々と氷を入れているようなものです。お湯を温めながら冷ましているのです。ビールやワインで健康効果を得ようというのは、そういうことです。

アルコールの正体

ではなぜ、アルコールが有害だと断言できるのか。
その理由を、アルコールを摂取した時に身体でどのようなことが起こるのかを「分解」の視点から簡単にお話しします。
体内に入ったアルコールは胃や腸から吸収、血液を通って肝臓に集められ、酵素によって分解されます。
この分解にはいくつかのステップがあり、最初のステップでアルコールを「アセトアルデヒド」という物質に分解し、次のステップでアセトアルデヒドを「酢酸」に分解します。
そして酢酸は全身の筋肉などの組織によって二酸化炭素と水に分解され、尿などの形で体外に排出されるわけです。
問題なのは、最初のステップで発生した「アセトアルデヒド」です。これは発がん性を持つ物質で、強い毒性により臓器に深刻なダメージを与えます。お酒に弱い人はこのアセトアルデヒドを分解する酵素の量が少ないために、疲労や頭痛、吐き気、目まいなどの症状を引き起こします。この症状が長時間続き、寝て起きた後も改善されない状態が「二日酔い」です。
このようなアルコールの分解は、1サイクルで完結するものではありません。肝臓を中心とした全身の組織を酷使して何度も上記のサイクルを回し、ようやくアルコールという毒物を体外に排出することができるのです。

たまに、お酒が強い人(アルコール分解酵素やアセトアルデヒド分解酵素を遺伝的に多く持つ人)が少量の飲酒を行うのであれば人体に悪影響は無いという主張がありますが、これも間違いです。
どんなにお酒に強い人でも、分解の過程で必ずアセトアルデヒドは発生します。そして前途したようにアルコール分解の過程は1サイクルで完了しません。肝臓で分解しきれなかったアルコールとアセトアルデヒドが再び血中に流れ、心臓を通って血管に運ばれ、また肝臓に送られ分解するというプロセスを何度も繰り返します。

ここはとても重要なポイントなので、さらに具体的にお話ししましょう。
先ほど出た、厚生労働省が公表している適度な飲酒量、「純アルコール量20g」=瓶ビール500mlを例に考えてみます。一般的に20gのアルコールを分解するのにかかる時間は4〜5時間とされており、お酒に弱い人であればその何倍も時間がかかります。これによってアセトアルデヒドによる影響を受けやすく、頭痛や目まいなどの症状が強く現れ、二日酔いになりやすいのです。強い人であれば半分程度まで時間を短縮できると言います。
これを踏まえた上で、次に考えるべきことは、血液が全身を巡って再び心臓に戻ってくるのにかかる時間です。
こちらは、およそ30秒。
つまり、分解に4時間かかるとしたら、全身の血管を480回巡ってようやく20gのアルコールを分解し終えることができるということになります。
そこまで単純な話では無いでしょうし、だんだん毒の濃度は薄まっていくとはいえ、その間、アセトアルデヒドという猛毒が、何度も全身の血管と臓器を駆け巡るのは事実です。
さらに、肝臓はアルコールの分解のために過酷な労働を強いられます。その間は、本来の機能を十分に果たすことができません。
「肝心(肝腎)」という言葉がある通り、肝臓の役割は我々が生きる上で非常に重要です。肝臓は免疫、代謝、エネルギー、消化、栄養などに関わり、先ほど挙げたような毒素の排出という役割も担っています。その重要な役割が効率よく果たせなくなってしまえば、人体に様々な支障をきたすことは言うまでもありません。
よって、どんなにお酒に強い人であっても、どんなに少量であっても、アルコールを摂取することは健康に悪影響であることは明白なのです。

決断の日

そもそも、なぜ、私がこんなことを知っているのか。
それはもちろん、勉強したからなのですが、これまで話したような無頓着で、考無しの愚かな若者が、どうして「お酒の真実」と向き合うようになったのか。
さあここからは、私の人生が変わる瞬間のお話です。

私はこれほどまでにお酒に溺れた生活をしておきながら、実は「健康志向」な側面も持っていました。昔からそうだったわけでは無いのですが、社会人になってから色々な本を読む中で、徐々に健康意識が高まっていった感じです。
今回は「禁酒」の話なので、詳しくは言いませんが、私は8年前に「禁煙」も経験しています。思えばこれが、健康意識の高まるきっかけだったのかもしれません。しかし、一方で、禁煙による禁断症状を紛らわすために、お酒の量が増えるという事態も招きました。禁煙についての話は、以下のブログで話していますので、興味がある方は読んでください。

禁煙5年で人生はどう変わったのか

僕はヘビースモーカーでした。1日に2箱(40本)以上のたばこを吸っていました。電子タバコが発売されてからはアイコスを2台持ちし、ホルダー(吸うための本体)は3本所…

健康について、どんなことを意識しているかといえば、まず一つは栄養です。具体的には、現代人に不足しがちな、タンパク質・ビタミン・ミネラル・食物繊維・不足しがちな脂質(オメガ3系・9系)を、炭水化物(糖)や過剰になりがちな脂質(オメガ6系)よりも多く摂取することを心がけています。他にも、しっかり体を動かして筋肉を維持することや、できる限り自然と触れ合うこと、睡眠時間を多く確保すること、朝から活動的に行動することなどを意識しています。
こんなことを意識しながら、尋常では無い量のお酒を飲んでいるのですから、おかしな話です。
しかし考え方によっては、飲酒以外の面で健康的な生活を意識していたからこそ、これだけお酒を飲んでいても、体の不調を感じなかったのかもしれません。

さて、私は様々な健康に関する本を読んできました。飲酒に関する内容が書かれている本ともたくさん出会いました。そしてその中に、「酒は健康に良い」などと書かれているものは一つもありませんでした。せいぜい、「少量なら飲んでも大丈夫」ということです。
様々な本を読んで私が学んだのは、お酒は毒であること、アルコールはドラッグであること、自分はアルコール依存症であること、今の自分の体調が良いと思っているのは勘違いであることなどです。しかし私は、自分の健康意識が明らかに矛盾しているという事実から目を背け、お酒を飲み続けました。
「お酒は人生の楽しみだ」
「お酒が無い人生なんて考えられない」
「お酒を飲んでも自分は健康だから良いんだ」
などと、まさにアルコール依存症丸出しの、苦し紛れの言い訳で飲酒を正当化していました。

そんなある日、私に禁酒を決断させた、決定的な出来事が起こります。
家族で車に乗っている時、私はYouTubeで健康に関する動画を流していました。すると妻がぼそっとこう言ったのです。
「それだけ健康に気を遣ってるのに、お酒は飲むんだね」と。
返す言葉がありませんでした。

「言わないでほしい」
「聞こえなかったフリをしたい」
「恥ずかしい」
「消えてしまいたい」
「自分がお酒を飲み過ぎていることぐらいわかっているんだ」
「このままじゃダメなこともわかっているんだ」
「でもやめられない」
「我慢ができない」
「もう、お酒の無い人生なんて考えられない」
「やめられる自信なんてどこにも無い」
「だから、その言葉を言わないでくれ」

一瞬にして、まさに稲妻のような速さで、頭の中をとんでもない量の情報が駆け巡りました。
そして時間をかけ、ゆっくりと頭の大混乱を整理する中で、このような考えが浮かんできました。

「このまま酒に支配された人生を送るのか」
「言ってることとやってることが違う、矛盾した健康志向を持ち続けるのか」
「自分は今まで、本気で解決しようとしてきたのか」
「このままだと後悔するんじゃないか」
「変わりたいけど、変われないなんて、言い訳をするのはもうやめよう」

「よし、今日酒をやめよう」

私はこの瞬間、静かに禁酒を決意しました。

実行

その日の夜、私の行動は決まっていました。
私は冷蔵庫の扉を開け、目の前にあった缶ビールを取り出し、そのフタを勢いよく開けました。
その瞬間、私の耳には確かに、悪魔のささやきが聞こえてきたのです。

「なあ、禁酒をすることなんて誰にも告白していないじゃないか。誰と約束したわけでも無い。このまま何事もなかったようにいつも通りに口をつけてしまえばいい。そのキンキンに冷えた液体で喉を潤わせたいと思わないか。気が済むまで、胃袋に流し込みたいだろう。そうすれば、何もかも忘れて気持ちよくなれる。快楽に身を委ねて、辛い現実から目を背けることができる。ちっぽけな決断なんて無かったことにして、これまで通りの日常に戻るだけだ。簡単なことだろう。ほら、飲んじまえよ。」

他でも無い、私自身の、弱い心の声でした。

覚悟は決まっていたはずなのに、あれほど恥をかいたのに。あんなに学んだのに。人生を変えたいと、自分を変えたいと決断したはずなのに。こんなにも自分の意思は弱いのか。あるいは、これほどまでに酒とは恐ろしいものなのか。葛藤と恐怖が私を襲いました。
それと同時に、なぜこんなにも恐ろしい薬物が合法なのか、どうしてこんなに恐ろしいものに手を出してしまったのかと、世界と自分自身に対する怒りが湧き上がりました。

これら、悪魔のささやき、葛藤と恐怖、怒りは、缶のフタを開けた一瞬の出来事でした。

次の瞬間、私は手に持っていたビールをシンクへ流します。そして、我に帰りました。
「そうだ、私は禁酒をするのだ。そう決断したのだ」
冷蔵庫に残っていた残りのビールと、棚に入っていた大量の焼酎も流し捨てました。凄まじい酒類の匂いが部屋中に広がった時、すでに私にとってお酒という存在は、甘美な嗜好品ではなく、異臭を放つ薬品へと変わっていたのです。

私はその日、清々しい気分で寝室に入り、早々に寝てしまうことにしました。
ありがたいことに、仕事で肉体的には疲労が溜まっていましたので、すんなりと眠りにつくことができました。

禁酒開始

私の禁酒生活が幕を開けました。
まず、2日目の朝です。もちろん、1日飲まなかったぐらいでは、体調に変化は感じません。しかし気持ちが違います。私は生まれ変わったのです。今日も、明日も、もう二度とお酒というものを飲まないと誓ったのです。その事実が、昨日までとは全く違う、清々しい朝の目覚めへとつながりました。
日中の仕事を終え、家に帰る道中、いつもであればコンビニに寄ってお酒とつまみを買うのですが、まっすぐに家にかえります。「お酒を飲みたい」という気持ちは確かにありますが、「禁酒生活をスタートしたぞ!」という意気込みがあるので、その勢いもあって、2日目の夜もさほど苦労せず眠ることができました。

さて、何ヶ月ぶりかの2日続けてお酒を飲まなかった3日目の朝です。これは思い込みなのか、現実なのか、なんだか体が軽いと感じました。それに、頭も冴える。気分がいい。なんとも嬉しい実感です。
それから、4日目、5日目、6日目と順調に禁酒は続いていき、1週間経った8日目の朝、自分の体調の良さは、思い込みや勘違いではなく、事実であることを確信しました。
まるで、自分の体では無いような体調の良さです。パッと目が覚め、羽のように軽やかに、布団から起き上がることができます。仕事中も頭が冴えます。集中力と意欲が高まり、作業のスピードが上がり、問題が起きても動じず、より冷静に対処できる自分がいます。

私はここで、ある勘違いをしていたことに気づきました。
先ほど私は、こんなことを言いました。『それだけお酒を飲んでいたのにも関わらず、体調の悪さを実感したことはなかった』と。
これこそが、大きな勘違いだったのです。
私は、2日続けてお酒を飲まないことなど滅多になかった人間です。つまり、お酒を飲まない体調がどういう状態か、完全に忘れていました。いつの頃からか、お酒を飲み続ける日々が当たり前となり、その状態が自分のベストパフォーマンスだと考えるようになっていました。
何がベストパフォーマンスなのでしょうか。そんなわけがないでしょう。
大量の飲酒をしていた私は、決して、万全の体調などではありませんでした。休肝日もろくに設けずに、あれだけ飲み続けていて、健康でいられるわけがありません。「体調は悪くない」などというのは、私の願望であり、都合よく作り出した理想像であり、勝手な思い込みだったのです。
これは科学的にも説明がつきます。先ほどアルコールの分解過程についての説明をしましたが、とにかく、アルコールの分解には内臓を酷使する必要があります。それによって、身体は他の不具合を調整したり、疲れを癒したり、内臓自身を休ませたりすることができません。どれだけアルコール分解能力が高い人であっても、肝臓をはじめとした身体に負担をかけていることに違いはないのです。健康的な人生を送る上で大切な「睡眠」という時間に、アルコール分解という重労働を、自分の身体に対して強いてきたのです。その過程でアセトアルデヒドという毒を、全身に浴びせ続けてきたのです。
それで、「自分は健康です」「体調は悪くない」なんて、呆れたものです。

私は1週間の禁酒によって、ようやくこの事実に気がつきました。
「これが自分の、本来の体調なのか」そう感じました。
ただし、長年の不摂生が、たったの1週間で改善するわけがありません。とにかく、この時分かったことは、「今までの自分が、最悪の体調だった」ということです。
これから、1ヶ月、半年、1年と禁酒を続けていくことで、私の体は少しずつ、本来の機能を取り戻し、今よりももっと素敵な体験ができると希望を持てました。

禁断症状

禁酒を始めて1週間がすぎた頃、私の意識は、何度もアルコールを渇望する心に飲まれそうになりました。
私の身体はすでに、お酒を飲まなければ幸福を実感できない状態になっていました。
「なんだか物足りない」
「イライラする」
「不安に押しつぶされそうだ」
「お酒を飲みたい」
このような衝動は、仕事が終わり、家へ帰る道中に、決まって私を襲うのでした。
その理由は単純です。今まで長い期間、「仕事が終わる→酒を買って家に帰る→酒を飲む→気分が良くなる」というサイクルを続けてきたからです。
私の脳は、普段なら気分が良くなるはずのタイミングで、そのご褒美が無いことに強烈な枯渇感を感じ、私を不安にさせ、「酒をよこせ」と要求し、精神を不安定にするのでした。

ここで、アルコールという薬物が持つ、『作用』についての話をしたいと思います。
皆さんは、なぜお酒を飲むと多幸感に包まれるのか、ご存知でしょうか。
そのキーワードは、『ドーパミン』です。ドーパミンというのは、神経伝達物質(脳内ホルモン)の一種で、別名「快楽ホルモン」と呼ばれます。ドーパミンが分泌されると、私たちは幸福や快楽を感じ、その行動を繰り返し行おうとする意欲が生まれます。その繰り返し行おうとする意欲が暴走し、自分の意思ではやめられなくなってしまった状態を『依存症』と言うのです。
ドーパミンが”正常に”働く過程は、例えば次のようなことです。

「努力が報われた!」
一生懸命努力して練習した結果、かけっこで一等賞を取ることができたとします。すると脳内ではドーパミンが分泌され、満足感と多幸感に包まれます。そして、「次もまた頑張ろう!」という意欲につながるのです。

「食べ物を見つけた!」
野生の動物たちは皆そうですが、私たち人類の祖先もまた、獲物を獲ったり、何か食べられるものを見つけなければ命を繋いで行くことができませんでした。そのため、カロリーを摂取できるものを見つけた時や、それを食べた時にドーパミンが分泌するようにできており、またそれを探して、手に入れようとする意欲が生まれるのです。

このように、ドーパミンというのは、正常に働いているうちは、私たち人類が生きる上で必要なメカニズムだと言えます。
しかし、本来であれば「努力が報われた瞬間」や「命を繋ぐために食べ物を見つけた瞬間」に分泌されるはずのドーパミンを、もっと簡単に、もっと早く、科学的に、強制的に分泌させる方法があります。
それが、薬物摂取です。

「コカイン」「覚醒剤」「大麻」という名前を聞いたことがあると思います。
これらは違法薬物と呼ばれ、使用が厳しく制限されています。これらはなぜ、所持しているだけで有罪になるほど危険な薬物として認定されているのでしょう。
その理由は、それを摂取しただけで人は幸せな気持ちになることができ、他のことで幸せを感じることができなくなり、やがてそれに依存し、人生を台無しにしてしまう恐れがあることを政府が認めたからです。
私たちは、これらがとても恐ろしく危険なものであることを、幼少の頃から刷り込まれて育ってきました。ですから、決して、手を出そうとは思いませんし、そもそも身近にありませんから、手の出しようもありません。もしもこれらを持っている人の存在を知ったら、一目散に逃げ出し、知り合いであれば関係を断ち、国家の力を借りてその悪事を白日の元に晒そうとするでしょう。
それほどまでに嫌悪し、恐れているものが、体に入れるだけでたちまち快楽を得られてしまう、薬物という存在なのです。

さて、ここで衝撃の事実をお伝えしなければなりません。
私たちのすぐ身近にある「アルコール」の作用は、先ほど挙げた違法薬物と全く同じです。今回はお酒の話なので詳しくは言いませんが、「タバコ」もまた、同様です。
確かに、細かく見ていけば分泌される神経伝達物質の特質や、その量、持続時間などに違いはあります。しかしながら、薬物の作用によって、「摂取する」→「多幸感を得る」→「再び摂取したくなる」→「無いと不安になる」→「やめられなくなる」という流れが存在する以上、それは紛れもない事実なのです。
「とはいっても、合法なんだから、違法薬物に比べて害は軽いってことでしょ」と思う方もいるでしょう。おっしゃる通り、そう言った面もあります。しかし、冷静に考えてみれば、コカイン、覚醒剤、大麻と同じ作用だけど、体への害が軽めだからOKというのは、あまりにも軽率です。
それに、「害が軽い」というのは、大きな間違いです。

アルコールの害は覚醒剤より上!?

David J. Nuttらが2010年に行った実験をご紹介します。
実験の内容を簡単に説明すると、研究チームは、依存症や精神医学、薬理学、法医学、警察などの専門家を集め「薬物の危険性」を評価するために、害を16項目に分類しました。
例えば、死亡リスク、身体への害、精神への害、依存性、家族への影響、犯罪への影響、医療費の増加、経済的損失などです。
次に、アルコール・ニコチン(タバコ)・ヘロイン・コカイン・覚醒剤・大麻など20種類の薬物について、それぞれの項目ごとに点数を付けます。
最後に、「どの項目をどれくらい重視すべきか」という重み付けも専門家が議論し、統計学的手法(多基準意思決定分析:MCDA)を用いて総合点を算出しました。
結果から申し上げますと、総合害スコア(100点満点)の1位は、なんとアルコールです。

<総合スコア>
1位:アルコール...72点
2位:ヘロイン...55点
3位:クラックコカイン...54点
4位:メタンフェタミン...33点
5位:コカイン...27点
6位:ニコチン...26点
7位:アンフェタミン...23点
8位:大麻...20点

ただ、1位というだけではありません。2位のヘロイン(強力な依存作用と激しい禁断症状で人生を崩壊させ、過剰摂取すれば昏睡状態から死に至る可能性もある最悪の薬物)を大きく上回るスコアです。
なぜアルコールが総合1位なのかというと、「他人への害」が圧倒的だからです。

<他人への害スコア>
1位:アルコール...46点
2位:ヘロイン...21点
3位:クラックコカイン...17点

この実験における「他人への害」とは、家庭内暴力、暴行・傷害、飲酒運転事故、子どもへの虐待、家族崩壊、医療費、犯罪、生産性低下、周囲への精神的負担などを指します。
このことから、お酒というのは、人類の歴史上最も、社会に害を及ぼす薬物であると言えるのです。

また、依存性の強さについてもアルコールは高いスコアを持っています。

<依存性スコア>
1位:ヘロイン...3.00
2位:コカイン...2.39
3位:ニコチン...2.21
4位:メサドン...2.08
5位:バルビツール酸系...2.01
6位:アルコール...1.93
7位:ベンゾジアゼピン...1.83
8位:アンフェタミン...1.67

ヘロインやコカイン、ニコチンと比べると低い結果にはなっていますが、8位のアンフェタミンは覚醒剤の一種ですから、同等とまでは言えないものの、アルコールが十分に高い依存性を持っているということは疑いようのない事実です。

さらに、依存性という点に関連して、無視できない問題があります。
それは、お酒が身近に溢れすぎているということです。
スーパー、コンビニ、飲食店、さらにはインターネット、いつでもどこでも簡単に手に入れることができます。
それだけではありません。テレビやYouTube、その他映像配信サービスの広告では、日々お酒のコマーシャルが流れます。美しい女優やイケメン俳優、芸人やアイドル、影響力のある著名人を活用して、「これでもか」というほどお酒をPRします。
この現状が世間に与えるイメージは、「お酒は安全」「最高においしい飲み物」「有名人のみんなも飲んでいる」「20歳になったら解禁される大人の嗜好品」「手軽にどこでも買える」というものです。
ヘロインやコカインがいくら強い依存性を持っていると言っても、それらは簡単に入手できるものではありません。その辺で売っていませんし、入手するとしたら大変なリスクを背負う必要があります。健康への悪影響どうこうの前に、見つかったら法律違反で前科持ちです。
何が言いたいのかというと、手に入りやすい、目に入りやすいことに加え、何より合法、メディアを通じて誘惑してくるシステムを考慮した時、お酒の依存性と禁酒の困難さは、実験によって示された数値では測れないということです。

どうやって禁断症状を逃れたのか

さて、禁断症状に苦しんでいる、禁酒1週間後の私に話を戻します。
「私はお酒をやめた、もう、1週間我慢することができた。私の人生はこれからだ。ここで後戻りするわけにはいかない」
この理性とは裏腹に、私のお酒に対する渇望は暴走直前でした。
仕事からの帰り道、車で道路を走っていると、何軒も何軒もコンビニが目に入ります。その度に、ハンドルを回して駐車場に入りたくなります。
「だめだ、だめだ。今コンビニに入ったら、確実に買ってしまう。この渇望に抗える自信がない。それに、1週間の禁欲明けの飲酒によってもたらされる、異次元の快楽によって、歯止めが効かなくなり、気絶するまで飲酒を続ける可能性すらある。そうでなくとも、まず間違いなく以前より飲酒量は増加するだろう」

それだけは避けなくては、、、

そこで私は、ある秘策を発動しました。
それは、「代わりに、甘いものを摂取する」という策です。
「本末転倒なのでは?」と感じた人もいるかもしれません。

確かに、甘いスイーツも決して体に良いとは言えませんし、ドーパミン理論上、「糖」の作用は、薬物摂取と同じメカニズムです。つまり、甘いものにも依存性があるということです。また、糖の過剰摂取は糖尿病などの健康被害も招きます。
ですから、酒を絶って糖に溺れたのなら、まさに「本末転倒」ということになります。
しかしながら、「アルコール依存症の人間が酒を断つ」というのは、そんなに甘い話ではありません。まずは、どんな手を使ってでも、「酒を断つ」という目的を果たさなければなりません。その代わりにプリンを食べようが、ケーキを食べようが、ドーナッツを食べようが、お酒を飲んでしまうぐらいなら100倍マシなのです。
どうせ、お酒を飲んでいても、甘いものぐらい食べるのです。それに、ビールの糖質を侮ってはいけません。そもそもガブガブとビールを飲んでいる時点で、とんでもない量の糖質を摂取していますし、それと一緒に何かしらつまんでいるのです。ビールを我慢するためにプリンを食べるぐらい大した問題ではありません。
もちろん、いくら食べても構わないと言うことはありませんが、どうしても「お酒が飲みたい」という衝動が我慢できない時は、「甘いもの」や「美味しいもの」を食べて気を紛らわせるというのは、作戦として優秀なのです。
何より私は、これでお酒への誘惑に打ち勝ちました。

ここで皆さんに希望を与えたいと思います。
当時の私は、お酒を飲みながら夜ご飯を食べていました。その後、お風呂に入った後にまたビールを開けて菓子パンやスイーツを食べていました。アルコールには、中枢神経に作用して脳の機能を抑制し、満腹感を伝える働きを低下させるという作用があります。要は、お酒を飲んでいると食欲が増すのです。大して食べたつもりが無くても、腹八分で抑えたつもりであっても、想像以上に食べ過ぎている可能性は大いにあります。
なので、禁酒中はいろいろとストレスに悩まされたり、お酒への渇望を感じると思いますが、そんな時に甘いものや好きなものを食べると、しっかりと満足感を得ることができます。少し、背徳感を感じるほどに大盛りスイーツなどを食べてしまっても、そこまで気に病む必要はありません。
私は結局、1ヶ月間ぐらいは、お酒を飲みたくなったらシュークリームやプリン、パフェ、菓子パンなどを、「お酒を飲んでしまうぐらいなら...」と食べまくっていましたが、体重は2キロも落ちました。
まあつまり、お酒を飲んでいた頃の方が、糖質や脂質を多く摂取していたということです。
そんなこんなで、私は1ヶ月の禁酒を達成したのでした。

1ヶ月で禁断衝動はほぼ消えた

私ほどの大酒飲みであっても、1ヶ月を過ぎたあたりから、「飲みたい衝動」に悩まされなくなりました。
これは大きな前進です。正直、「飲みたい」という気持ちはまだあります。しかし、自分の意思ではどうすることもできない渇望のような、お酒に対する執着は無くなりました。簡単に言えば、ようやく我慢できる状態になったと言う感じです。
ここまで来ると、コンビニに行っても大丈夫です。お酒コーナーが目に入っても動じなくなり、お酒のコマーシャルが流れても、居酒屋の横を通っても、「自分には関係ない」と割り切ることができるようになりました。

先ほどの話と関連しますが、この時、数ヶ月ぶりに会った知り合いの方から、「大川さん痩せましたか?」と開口一番言われました。
「確かに痩せたかもしれません。お酒をやめたからでしょうか」と答えると、「5歳ぐらい、若返ったように見えますよ!」と言ってくださいました。
社交辞令もあったかもしれませんが、体重が落ちて、体調がどんどん優れていき、肌ツヤもよくなっている実感があったので、この言葉は本心だったのではないかと感じています。

体調が優れていると言えば、この頃の私は、お酒を飲んでいた1ヶ月前の私とは、もはや別人です。
深夜の晩酌が丸々無くなりましたので、夜更かしをせずに眠るようになったことで、睡眠時間が伸びました。寝る直前にお酒も飲んでいませんし、夜食も食べていません。これによって、睡眠の質が劇的に向上しました。すると、朝の目覚めが日に日によくなっていき、いつも健やかな気分で1日をスタートすることができるようになっていきました。
このような、健康でいられる有り難みを感じると、もう決してお酒を飲んでいたあの頃へは戻りたくないと、心から思うことができました。

禁酒3ヶ月で人生はさらに良い方向へ加速する

禁酒から3ヶ月経った私は、更なる恩恵を得ることになります。
日に日に健康になっていく体調、引き締まっていく肉体、前向きになっていく心、ここまで来るともはや恐ろしいです。
私は侮っていたのです。まさか、禁酒の効果がこれほどまでとは考えていませんでした。
私は、禁酒以外、ほとんど生活スタイルを変えていません。強いて言うなら晩酌による夜食が無くなって、その分早く寝るようになったぐらいです。
それ以外は、むしろ、甘いものを食べる機会が増えたり、禁酒のご褒美という口実で美味しいものを食べたりと、どちらかと言えば不健康な要素も増えていました。
けれども、3ヶ月まではそのような習慣が続きましたが、その後徐々にお酒の禁断症状も落ち着き、甘いものを食べる量も以前と同じに戻っていきました。

朝活

そんな私に、何が起きたか。
ある日、このような衝動が私に芽生えました。

「朝の時間をもっと有効に使えないか」

どうにもこうにも、目覚めが良すぎるのです。しかし、朝起きてもやることがありません。なので、目が覚めても、アラームが鳴るまで布団でゴロゴロしています。ツムツムをやったり、ヤフーニュースを見たりしていました。
そんなことに朝の貴重な時間を使うのは勿体無い!

ならば、朝活をしよう。

朝起きて顔を洗ったら、コップ一杯の水を飲んでから大好きなコーヒーを淹れるという流れを作り、これまで夜にやっていた、ブログの執筆と趣味の読書を朝にやることにしました。
こうして、私の毎日のモーニングルーティンの基礎が誕生したのです。
これによって、私の読書量は格段に増え、健康に関することや教育に関すること、生き方や人間関係、さまざまな学びと出会う機会が増えたことで、私の人生は加速度的に変化することになります。

デジタルデトックス

私は晩酌をしなくなり、夜早く寝るようになりましたが、布団に入ると、意味もなくスマホを見てしまうことがありました。見ないにしても、アラームがセットされているので、毎日枕元にスマホを持っていきます。
しかし、ある日気づきました。
「スマホを寝室に持っていく必要あるのかな?」
そうです。お酒をやめてから、私はほとんどアラームで起きていないのです。
アラームが必要ない。寝る前にスマホを見る必要もない。むしろ、寝る直前のスマホは睡眠の質を下げるわけだから見ないほうがいい。
つまり、スマホはリビングに置いて、手ぶらで寝室に行けばいい。
私の中で革命が起きた瞬間でした。小さい頃から、アラームで目が覚めるというのは、当たり前のことで、自分の携帯電話を持っていない頃は、目覚まし時計を使っていました。
つまり、「朝はアラームが鳴るまで寝るもの」という、固定概念が出来上がっていたのです。
人間が本来持つ、健康的な生活リズムというのは全く違います。あたりが暗くなると自然に眠気が来て、日の出と共に交感神経が優位になり、自然と目が醒める。これが人間の、本来のあるべき姿です。現代に生きる我々には難しい話かもしれませんが、そこまでとはいかないものの、夜になったら自然と眠くなり、朝は自然と目が醒めるという当たり前の生活リズムのためには、寝る前のスマホも、朝起きるためのアラームも不要なのです。
私は禁酒3ヶ月目にして、この真実に辿り着いたのでした。

水シャワー

これは私が毎日必ずやっていることです。とはいえ、そんなに大したことではありません。毎日の入浴の最後に冷水を数分間浴びるというものです。
これによって、疲労回復が早まり、良好なメンタルを維持でき、免疫機能が高まり、自律神経のバランスを整え、脂肪燃焼をサポートするといった、多大な健康効果がもたらされます。もちろん、真冬でも欠かさずやります。むしろ、水シャワーは真冬にこそ絶大な効果を発揮します。これをすると、体がポカポカ温まるのです。
「そんなバカな」と思うかもしれませんが、こればかりは、やった人にしかわかりません。そして毎日続けるうちに、体が寒さに強くなります。なぜなら、自律神経が整うからです。自律神経というのは、寒い時は体を温め、暑い時は体を冷やすという体の機能に関わっています。これを水シャワーによって刺激し、正常に働くように促すというわけです。
これが禁酒とどう関係あるのか疑問かもしれませんが、私は、お酒をやめたことで気持ちが前向きになり、さらに健康意識が高まったことで、水シャワーを実践しようと思い至ることができたのです。それに、朝の読書量が増えなければ、この情報に出会うこともなかったかもしれません。よってこれも、お酒をやめた恩恵なのです。

本格コーヒー抽出

私の朝の時間は充実を極めました。妻も子供たちもスヤスヤ眠っている、自分だけの静かな時間。爽やかな目覚めの直後に飲む一杯の水と、その後ゆっくりとコーヒーを淹れる穏やかな充足感。私の1日のスタートは完璧でした。
そんなある日、お客様からコーヒー豆をいただきました。挽いて「粉」になる前の「豆」の状態のコーヒーです。

「先生、コーヒーは好きですか?」
「ええ。毎日飲みます」
「本当ですか。これ、私の勤めている会社で、新しく始めたカフェ事業のコーヒー豆なんですけど、もらっていただけませんか」
「よろしいのですか」
「はい!ただ、ミル(コーヒーを挽くための機器)がいるのですが」
「買います!」

私はこれまで、1杯ごとパックされていて、お湯を注ぐだけで淹れられるコーヒーを飲んでいました。お湯を沸かす時間を合わせても、数分でコーヒーが完成します。
しかし、豆から淹れるとなると、工程は格段に増えます。もちろん時間もかかります。道具も揃えなければなりません。奥が深く、テクニックも必要です。
普通、豆からコーヒーを抽出するなど、こだわりが強い人しかやりません。ましてや、朝起きて1杯のコーヒーを飲むために何十分もかけるなんて、そんな面倒なことをする必要がありません。
しかし、お酒をやめたことで心の余裕を手に入れ、無双状態となった私にとっては、ちょうど良いステップアップでした。
当時は最低限の道具だけを買い揃え、本格コーヒー抽出を始めました。右も左も分からず、最初の頃はなかなか美味しいコーヒーを淹れられませんでしたが、これも良い経験だと思いながら、毎日続けました。
その後、だんだん知識が増えてくると、抽出方法に応じた、豆の量とそれに対するお湯の量、抽出にかける時間、お湯の温度、どこの産地の豆を選ぶのか、焙煎具合はどうするか、どんなカップを使って飲むのかに至るまで、こだわりが増えていき、私にとってコーヒー抽出は、朝から気持ちを整えるための欠かせないルーティンとなったのです。

スムージー

私は健康意識が高い人間であると自覚しています。その上で、栄養学、すなわち「何を食べるか」は最重要課題です。行き着いた一つの答えが、朝食におけるスムージーです。
お酒をやめたことで、私は健康意識が高いと自信を持って言えるようになりました。晩酌をやめ、夜食をやめ、すっきりと目覚めた朝に充実したルーティンを終え、健康的な朝食を摂取する。これは、お酒をやめなければ決して辿り着くことのなかった生活スタイルだと言えます。
私がスムージーにする食材の基本はこのようなものです。

・ほうれん草
・バナナ
・アボカド
・キウイ
・ブルーベリー
・しょうが
・酢

季節によっては、りんごやいちごを入れたり、にんじんを入れて食感をプラスしたり、ヨーグルトで味を変えたりすることもあります。
ご覧いただいてお分かりだと思いますが、体によい栄養素が詰まった食材ばかりです。控えめに言って最強です。これを飲んで健康にならない方がおかしいと言うものです。
ただし、「食材の選び方」と「飲み方」の注意点もあります。例えばバナナに関しては、できる限り熟していない緑色で固いものを選ぶようにします。理由は「糖質」です。果物は熟せば糖が多くなります。甘くなるので美味しいのですが、健康効果は薄れます。
また、飲む時は「少しずつ」です。甘いものほど、少しずつ摂取しなければなりません。なぜかと言うと、血糖値が急激に上がってしまうからです。血糖値の急上昇は、身体に様々な悪影響を及ぼします。これはスムージーだからと言う話ではありません。
早食い、一気飲みはやめた方が良いのです。何を食べるかも重要ですが、同じものを食べるにしても、食べる順番や速度を工夫すれば太りにくくも、病気になりにくくもなります。
こうした知識が得られたのも、健康意識がさらに高まったのも、お酒をやめて、学ぶ時間が確保できるようになったおかげです。

仕事

私は仕事において、お世辞にも敏腕とは言えません。経営者ではありますが、まだまだ分からないことだらけであります。
私は28歳の頃に独立起業しましたが、当時は苦しい思いをしました。どれだけ頑張っても、死に物狂いで働いても、お金がなくて、借金が返せなくて、惨めな毎日でした。
そんな現実から目を背けるように、お酒に逃げている自分がいました。
31歳でお酒をやめた時だって、事業は常に危ない状況でした。軌道に乗ったと言えば、軌道に乗っているのかもしれない、しかし常に、いつ沈むか分からない船に乗っている感覚です。
売り上げは不安定、下がるときは予想以上に下がり、それと反比例するように支払いが嵩む。会社員の頃には無縁だった危機感と隣り合わせの毎日。それでもお酒に頼らないと決意した孤独感。そんな崖っぷちの恐怖と向き合った数ヶ月、私の中で何かが弾けました。

「これが、『仕事』というものなのだ」

「サービスを提供する」
それがどれほど大変で、お金をもらうことがどれほど勇気のいることで、お客様がいるということがどれほど有難いことなのか。お金を稼ぐとは、どういうことなのか。
現場で働く、個人経営の事業主として、「禁酒」という決断が、私の仕事と向き合う姿勢を変えるきっかけになったことは間違いありません。それは、たくさんのビジネス書を読んだからかもしれませんし、さまざまな危機をたくさん経験したからかもしれません。
何はともあれ、私が仕事に対し、新たな発見や発想の転換がなされた1番のきっかけは、禁酒に他ならないのです。

子育て

禁酒を始めた当時の状況を思い返すと、我が家の子供たちの年齢は、長男が3歳3ヶ月、次男が2歳0ヶ月、そして三男が妻のお腹の中(妊娠5ヶ月)という感じでした。
ここまで、「快適な禁酒ライフ」を良いように話してきましたが、実際の家庭状況はカオスでした。
「睡眠の質が上がった」と言っても、実は毎日ぐっすり眠れていたわけではありません。息子たちは夜泣きがひどく、私ではどうしても泣き止みません。それなのに妻はつわりでダウンしています。家の中は常にめちゃくちゃ、ごはんつぶが壁に張り付き、床一面におもちゃやら紙くずやら食べ物が散乱し、テレビの液晶は割られ、フローリングは傷だらけ。まさに戦場でした。
思い返せば、よくその状況で禁酒を並行したものです。

しかしながら、こうした苦しい状況であったとしても、禁酒をしたことは結果として私の救いになりました。
なぜなら、明らかに心が軽くなったからです。
確かに、禁酒を始めたばかりの頃はストレスが多く、お酒に逃げたくなることもありました。
しかし、冷静に考えると、子育てにストレスがあるのは、私がお酒をやめたことと関係ありません。お酒をやめたから子育ての難易度が上がることなど決してないのです。お酒を飲む飲まないに関わらず、子育ては大変な仕事であり、時に辛く苦しいものです。

私は禁酒から3ヶ月経って、衝撃的な真実に気がつきました。
育児のイライラ、思い通りにいかないストレス、ぎくしゃくする家族との関係、これらはすべて、私の飲酒に原因があったのです。
飲酒者の精神は、多かれ少なかれお酒に支配されています。
仕事が終わった時、無性に「お酒が飲みたい」と感じる欲求や、「今日は車を運転する予定があるから飲めない」という欠乏感、こうしたものは飲酒者でなければ起こり得ない感情です。さらに、アルコール依存症の人ともなれば、こうした感情は禁断症状となり、心拍数の上昇、神経の興奮、イライラといった、不安定な精神状態を容易に作り出します。飲酒の影響とは、飲酒した時にのみ現れるのではありません。日常的にお酒を飲む人の心は、お酒を飲んでいない時でさえ、お酒の影響を受けてしまうのです。
私は子育てをする中で、目の前で起きている出来事に感情が振り回されていたのではありません。日常的にお酒を飲んでいた私の精神が正常でなかったからこそ、目の前の出来事に過剰に反応してしまっていたのです。

私は禁酒からしばらく経って、禁断症状が落ち着いてきた頃、育児に対するイライラが少なくなったことを実感しました。
ご飯を投げつけられても、壁に落書きをされても、兄弟で取っ組み合いの喧嘩が始まっても、そこまで動揺しなくなりました。確かに、これが禁酒による効果なのかどうか、それを裏付ける証拠はありません。しかし、私にはわかります。これは間違いなく、お酒をやめたことによる影響なのです。

夫婦関係

子育てのストレス軽減に関連して、私にとって禁酒は、妻との関わりにおいても大きな変化をもたらしました。
ひとことで言うと、私は寛容になったのです。「寛容になった」という言葉だけでは決して表現しきれないほど、もはや人が変わったと言っても過言ではありません。
お酒を日常的に飲んでいた頃の私は、物事を見たままの表面で捉えることしかできませんでした。夫婦関係で言うのなら、妻のわがままや文句といった、口に出す言葉や態度にばかり注目し、その裏側にどんな感情が潜んでいて、どんな体験があったのかを想像することができなかったのです。
だから妻の態度に振り回され、ちょっとしたことでイライラし、意見がすれ違い、連携が取れず、話せば話すほど関係が悪化するような事態が生じます。
禁酒を始めて数ヶ月経ち、私は自分の思考がクリアになっていくことを実感しました。それは物事を別の角度から見たり、自分の行動や言動を俯瞰して見ることができるようになったということです。また、人の行動や態度の裏側に何があるのかを、想像したり、理解しようと努めたりすることができるようになったということです。
これによって、私は間違いなく、これまで以上に妻の感情を汲み取り、妻の望みを叶え、妻の苦しみを感じ取ることができるようになりました。これは、禁酒による直接的な恩恵に他なりません。
さらに、私は夫婦関係を含めたあらゆる人間関係に関する書籍を読むようになり、心理学、脳科学、生理学といった多方面からの「男女の違い」や「妻の気持ち」についても学ぶようになりました。これによって、さまざまな知見を得たこともまた、私なりの良好な夫婦関係につながっています。これは一見、禁酒とは関係ないように感じますが、禁酒をしなければこのような本をじっくりと読む時間を確保できなかったので、間接的ではありますが、禁酒による恩恵と言えます。

私の人生からお酒が消えた時

それから2年の時が流れた頃、私の中にはもう、お酒を飲みたいという感情が消えていました。あるのは、「お酒を飲んだら気分が良くなる」という記憶だけです。これはきっと、人生最期の瞬間まで消えないと思います。

私は健康になりました。毎朝早く起き、必ず本を読んで学び、1日も欠かさずブログを書き続けました。他者を敬い、家族を愛する尊さを知りました。間違ったことをした時は、それを受け入れ、謝罪したり、反省したりする心の強さを手に入れました。
禁酒は私の人生を変えたのです。

自分への自信

禁酒が私にもたらした最たるもの、それは自信です。
「自信」とは、自らを信じる気持ちです。その正反対に位置する概念こそ「依存」ではないでしょうか。
何かに頼らなければ自分の心を保てない、自分以外の誰かに責任がある時しか行動できない、それを手放したらと考えたら恐怖で何も考えられない。
これこそ、「自分に自信がない」という状態に他なりません。

私はお酒に依存していました。
それは、皆さんの想像する「アルコール依存症」とはきっと違います。
飲まないと手が震えるとか、飲まないと眠れないとか、朝起きた瞬間から飲みたい衝動に駆られるとか、気絶するまで際限なく飲んでしまうとか、そういう状態ではありませんでした。
ただ、漠然と飲みたいのです。毎日でなくとも習慣的に、同じような時間になると、お風呂に入ったり歯を磨くような感覚で、飲酒が生活の一部となっているのです。そして、もしもこの世界からお酒が無くなったらと想像すると、「どうかなってしまうのではないか」と不安になるのです。

私はその心の支えを手放しました。自分の力で立とうと決意し、実際にそうしました。
この決断は、私が自分の人生を自分の力でコントロールすることができることの、何よりの証明です。自分の弱さと向き合い、寄りかかっていたものを取り払い、自ら道を切り拓いたことで、私は変わりました。

お酒を飲んでいた頃の私は、大人の見た目をした子供だったのです。年齢が成人を迎えただけで、自立した気になっていたのです。
私は自分の足で立ってなどいませんでした。あの日禁酒を決意しなければ、そのことに気づくこともなかったでしょう。
自立した気になって、大人になったと勘違いをしていた当時の私は、他人に迷惑をかけ、不都合なことがあったら自分以外の人間のせいにし、環境のせいにし、運命のせいにしました。そして、苦しいことがあったらお酒に逃げるのです。なんと愚かなことでしょうか。
だから私は、「お酒をやめてよかった」と心からそう思うのです。

本当の幸せ

幸せとはなんでしょうか。
少なくとも、気分が良い状態が長く続くことが幸せの本質ではありません。辛いことや悲しいことが起こるのが人生なのです。
ならば、そうした苦しみから目を逸らさず、乗り越えようと努力し、その先にある喜びを掴もうと足掻き続けること、そうした営みの連続が人生だと受け入れる姿勢こそが、本当の幸福なのではないでしょうか。

飲酒は、本当の幸せから私たちを遠ざけます。
お酒を飲むことによる快楽こそが、人生における幸福なのだと、私たちを錯覚させます。
「それの何が悪いのだ」と私たちに言わせます。
食を嗜む喜びと、趣味に勤しむ喜びと、人と関わる喜びと、酒を飲む喜びの何が違うのだと訴えます。

それは違うと、私たちは反論しなければなりません。
ご飯を食べたり、趣味を楽しんだり、人と関わったりする喜びと、お酒を飲むことによる喜びは違うのだと、主張しなければなりません。

お酒が大好きな人が今日もこう言います。
「飲まなきゃ、やってられない」と。
自分は苦しいことがあったからお酒を飲むのだと、頑張った自分へのご褒美として今日もお酒を飲むのだと、イライラした時はお酒を飲んで気を紛らわすのだと、お酒は心の安定のためにあるのだと、なぜなら酒は百薬の長なのだからと。

そういう人に、「もしもお酒がなかったらどうするんですか」と尋ねたら、きっと、「そんな人生は考えられない」と言うでしょう。
これは、プロ野球選手が「僕にとって野球は人生の全てです」と言うのとは違います。
お酒との出会いは、人生の喜びを見つけたのではありません。お酒から抜け出せない状況は、熱中できる楽しみを見つけたのではありません。依存性の高いアルコールという薬物の作用によって作り出された、偽りの幸福にすぎないのです。

その幸福感は、あなたが努力して得たものではありません。あなた以外の誰にも当てはまらないような、あなただけの幸せの形ではありません。
お酒を飲んだら、誰であろうと快楽を得られるのです。アルコールを投与すれば、チンパンジーだろうが、ネズミだろうが、幸せを感じるのです。

もしも、「お酒さえ飲めれば自分は幸せだ」と言う人がいたら、私はその考えを否定します。それは本当の幸せではありません。依存です。
依存は自立の対極にあり、幸福から遠く離れた場所にあるものです。依存を手放し、自立した先にしか本当の幸福はありません。
「お酒のない人生なんて想像できない」という考えが、決して普通ではないと、恐ろしいことなのだと感じる心を、私たち人類は取り戻さなければなりません。

酒は悪なのか

私はこの記事の中で、お酒を批判しました。
アルコールという薬物の危険性を主張しました。

ではお酒は悪なのでしょうか。
もしも、「人生にお酒という要素があっても良いじゃないか」という意見を言われたら、私は別にそれを否定しません。ただし、その言葉の裏に、「お酒を手放したくない」という依存感情が隠れていないのだとしたらです。
仮にお酒が悪だとするのなら、その理由は3つあります。

1つ目は成分的な毒性です。
先に述べたように、アルコールは分解過程でアセトアルデヒドという有害な物質になります。それが健康状態に直接的な悪影響を及ぼす観点から、お酒は悪だと言えます。

2つ目は社会的害です。
この記事の中でご紹介した、薬物の害スコアを示した研究において、アルコールは「他人への害」という項目において、「コカイン」「ヘロイン」を大きく上回り1位の害スコアを証明しました。「他人への害」というのは、家庭内暴力、暴行・傷害、飲酒運転事故、子どもへの虐待、家族崩壊、医療費、犯罪、生産性低下、周囲への精神的負担などです。
もちろん、すべての飲酒者にこのような項目が当てはまるとは思っていません。しかしながら、私たちは人がお酒を飲んで酔っている状態に違和感を持ちません。その理由は、それが安全だからではありません。ただ、その光景を見慣れているからに過ぎないのです。

3つ目は依存性です。
アルコール依存症の定義は曖昧です。結局は自己判断となります。例えば、WHOの定めるアルコール依存症診断基準の一つに「コントロールの喪失」という項目があります。これは、「量や時間を自分で決めても守れず、飲みすぎてしまう」とありますが、ちょっとよくわからない基準だと思わないでしょうか。意図を汲み取れば、「1杯と決めたのに3杯飲んでしまうのは異常だ」という意味なのでしょうが、そもそも本人が1杯では満足できないとわかっていて3杯飲もうと決めている場合は、「3杯飲もうと決めて3杯飲んだ」ので、「コントロールできている」と言えてしまいます。しかし、これは果たしてコントロールできているのでしょうか。
多くの飲酒者は、自分は飲酒量をコントロールできており、自分は飲み過ぎてなどおらず、自分の飲酒量は常に一定であり、自分は「お酒を飲みたい」という欲望になど支配されていないと思っています。しかし、実際は違います。「自分は依存などしていない」と信じている人ほど、お酒に支配されています。
もし本当に、お酒に依存していないのなら、ただやめれば良いのです。お酒をやめれば間違いなく飲んでいる状態より身体は健康になります。長期的に見れば、精神も健康になるでしょう。なにせアルコールは、私たちが生きる上で必要な栄養素ではないのです。お酒を二度と飲まないと想像した時、もしもあなたが「喪失感」を感じるのだとしたら、それはお酒に依存している状態に他なりません。

以上のことから、お酒は少なからず「悪」の要素を持っていることは間違いありません。
しかしながら、これら3つの要素は、お酒に限らずとも言えてしまいます。
一つ目の成分的な毒性という観点を言えば、あらゆる栄養素に「致死量」つまり、これだけ摂取すれば死亡するという摂取量が存在します。塩も摂り過ぎれば死に至ります。そういう意味では、お菓子も、野菜も、水すらも毒となり得ます。
二つ目の社会的害に関しては、アルコールに限った要素が多いです。現在、純粋な「食材」単体で同等レベルの害を他者に対して引き起こすものは存在しないと言われています。タバコや、その他違法薬物が他人への害を及ぼしますが、それが悪であることは論じるまでもありません。
三つ目の依存性に関して言えば、砂糖はまさに同じメカニズムを引き起こします。また、私が毎朝飲んでいるコーヒーに含まれているカフェインもまた依存性を備えています。

なので、「アルコールが毒だ」と言えば「それを言うなら砂糖も毒だ」となり、「お酒は依存性があるから悪だ」と言えば「それを言うならカフェインも悪だ」となります。「お酒は必須栄養素ではない」と言えば「お菓子やジュースなどあらゆる嗜好品が必須栄養素ではない」となります。私の主張とそれに対する反論を繰り返せば、きっと堂々巡りとなります。
つまり結局のところ、「お酒は悪だ」ということを、今の私に100%証明することはできません。

ですから、「別に飲んでもいいじゃん」「お前にどうこう言われる筋合いはない」「私はお酒が好きなんだから放っておいてくれ」と言われたら、私はその行為を認めます。その人の人生だからです。
それが飲酒のリスクとリターンを真剣に考えた上での判断でも、何も知らずに快楽だけを求めた決定であったとしても、他人である私が口を挟む余地はありません。
私は先ほど、お酒を飲むことで得られる幸福感は、本当の幸福ではないと言いました。それは、お酒で失敗し、お酒に依存した過去を持ちながら、お酒について学び、お酒の危険性を知り、その状況から逃れた私の意見です。
お酒を飲むことが本当に幸せで、それが豊かな生き方であると心から信じている人にとって、それはその人の人生の、確固たる幸せの形なのかもしれません。もしも飲酒が原因で病気を患ったとしても、それはその人の生き様です。後悔するのも、しないのも、その人次第なのです。

選ぶのはあなた

私は今、幸福な人生を歩んでいます。
世界一の妻と、愛する息子たちに囲まれて、充実した毎日を送っています。
仕事においても、たくさんの素敵なお客様に恵まれ、決して裕福ではないにしろ、家族5人で生きていくことができます。
新しい物事に挑戦する楽しみや、努力することの尊さを知り、時折訪れる苦しみを受け入れ、幸福とは何かを追求し続けることに、喜びを感じています。
この幸せな生活は、お酒をやめたから手に入ったものです。
いや、本当は、お酒を飲んでいた頃も、私はたくさんの幸福を持っていたのかもしれません。しかし、お酒をやめなければ、それに気づくことはなかったでしょう。少なくとも、「お酒を飲みたい」という感情に振り回されていた当時の私が、今自分の目の前にある本当の幸せに気づけるはずがありません。

これを読んでいるあなたは今、幸せでしょうか。
きっと、この記事を読み始めたきっかけは「お酒をやめたい」という思いからだと思います。ではなぜ、あなたは「お酒をやめたい」と思ったのでしょうか。
その理由を、私は知っています。
自分の人生が、お酒によって狂わされていると、多かれ少なかれ自覚したからです。
お酒を飲まないとイライラする自分に気づいたからです。
何かがあった時、それが良いことだろうが悪いことだろうが、それらしい理由をつけてお酒を飲もうとしている自分に気づいたからです。
お酒が本当は健康的な飲料ではなく、自分の健康を害する薬物であることを、本心では気づいているからです。

私は前の章で、結局は、お酒を飲もうが飲まなかろうが、それによってどのような結末を迎えようが、それはその人の人生だと言いました。
では、あなたはどうしますか。
「そうか、結局は自分次第なんだ」という言葉に甘え、「病気になろうが自分の責任だから」と正論を掲げ、これからもお酒を飲み続けますか。
それとも、「今のままじゃダメだ」という心の声に従い、辛く、苦しい道のりに一歩を踏み出しますか。

決めるのは、あなたです。

おわりに

人はそう簡単に変わりません。
人が変わるためには、それなりの経験が必要です。何か失敗をしたとして、その失敗を繰り返さないためには、痛みを伴わなければなりません。人は懲りるまで、その失敗を繰り返すのです。
人は誰かに言われて態度が変わることはありません。もしも変われるとしたら、自分で変わろうと思った時だけです。さらに言えば、いっときの気の迷いで変われるほど甘くはありません。今の自分に心底呆れ、自分が嫌いで嫌いで仕方なくなり、強烈に「変わりたい」思った時にだけ、ひょっとしたら変われるかもしれない可能性を得るのです。

私はこれまでの人生で、明らかに自分の人生が変わったタイミングを2回経験しています。一つは、この記事でご紹介した2年前の禁酒で、もう一つは8年前の禁煙です。
私は自分の人生において、この2つの経験以上の苦しみを味わったことは無いかもしれません。もちろん、苦しい経験は他にもたくさんありましたが、自分の人生が変わったと言えるものはこの二つだけです。依存しているものを手放すというのは、それほど壮絶な経験なのです。

「もしも宝くじが当たった」
「もしも運命的な出会いがあったら」
そういうきっかけさえあれば、きっと自分の人生は変わるのではないかという想像をしたことはありますでしょうか。
そんなきっかけなど無くても、もっと簡単に、今すぐ人生を変える方法があります。
あなたが飲酒者なら、今日からお酒をやめることです。今すぐ、家中のお酒をシンクに流し捨てることです。あなたがアルコール依存症だとしたら、その決断は、なおのことあなたの人生を変える最大のチャンスとなります。
そうすればきっと、あなたはもがき苦しむことになります。自らの過去を悔やむことになるでしょう。己に対し、世界に対し、怒りを感じることになるかもしれません。そして何日も、何ヶ月もかけて、今までの自分の価値観や生き方が崩れていき、その中で新たな自分が誕生する経験をすることになるのです。
気がついた時には、見える世界が変わっています。

今日の決断が、人生を変えるのです。

もしもあなたが本気でお酒をやめようとするのなら、方法はあります。
この記事の中でも少し紹介ましたが、「やめ方」を中心にまとめた記事があります。誇張するわけではなく、医療機関や友人に相談するより確実です。とはいえ、有料記事というわけではないのでご安心ください。
決意は固まったけど、具体的にどうすればいいかわからないという方は、こちらの記事も見てみてください。

最後まで読んでくださったことを心から感謝いたします。
あなたの幸福な人生をお祈りいたします。

【保存版】禁酒完全ガイド

僕は2024年4月9日にお酒をやめました。この記事を書いているのは2024年10月なので、ちょうど半年間の禁酒に成功しています。「たった半年禁酒したぐらいじゃあ、完全にや…

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