国語力=思いやり力

【国語力=思いやり力】
「国語力が高い」と聞くと、漢字が読めたり、文法が正確に理解できたり、語彙が豊富なことをイメージするかもしれません。
しかし、国語力の真の価値とは、思いやりの心にあります。
「相手の言葉を正確に理解し、その言葉の背後にある感情・意図・状況まで想像し、自分の言葉を相手に届く形に調整する能力」
これが、国語力です。
例えば、「太郎は花子に怒った」という文章があったとします。
この文章の意味自体を理解するのは、難しくありません。
「たろう」という人物が、「はなこ」という人物に対して怒りを向けたということです。
国語力が高い人はさらにこう考えます。
「なぜ太郎は怒ったのか?」
「花子は何をしたのか?」
「太郎は本当に怒っているのか?」
「怒っているように見えるだけではないか?」
「太郎自身は自分の怒りをどう感じているのか?」などです。
この短い文章を見ただけでは、多くの情報が不足しています。
まず、「太郎は花子に怒った」という言葉が、誰の言葉なのかによって話は変わります。
太郎自身の言葉であるならば、「怒り」は本人の自覚です。
しかし、太郎と花子以外の第三者の言葉ならば、「そう見えた」というだけで、太郎は怒ってないかもしれません。
さらに、前提が違えば話は変わります。
「普段は温厚な太郎が、この日は怒った」のだとしたら、花子はそうとうひどいことをしたのかもしれません。
一方、「いつも何かと怒っている太郎が、今日も怒った」のだとしたら、今日は花子がその怒りを向けられたと考えることもできます。
このように、さまざまな状況を想像し、情報を得た上で当事者の気持ちになって考えられる能力、つまり「思いやりの心」こそが『国語力』なのです。
対人関係のトラブルは、そのほとんどが情報不足によって起こるとも言われます。
相手の状況や感情をよく知らないまま、表面だけの言葉を聞いて評価を下してしまったり、相手に自分の状況や感情を正確に伝えないばかりに、相手から表面だけの評価を下されてしまうことがあるということです。
では、こうした生きた国語力はどのようにして身につくのでしょう。
その一つの答えが、読書です。
本は、作者の経験を追体験したり、物語の主人公の人生を擬似体験することができるからです。
そこには、主人公の感情や登場人物の行動を知ることによる、数々の学びがあります。
子供の読書について私が学んだこととして、漫画でも良いというものがあります。
文字だけの小説(ハリーポッターなど)でも、バトル漫画(ドラゴンボールなど)でも良いのです。
ただ、ハリーポッターシリーズを一冊読むのと、ドラゴンボールを一巻読むのでは読書量が違います。
活字の本に換算すると、漫画は0.1冊〜0.05冊程度として考えるべきだと言います。
何はともあれ、読書はコミュニケーション能力、ひいては「思いやり力」につながるというお話でした。


