我々は何を失ったのか

【我々は何を失ったのか】
「世界中で日本ほど、子供が親切に扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」
「子供が泣き叫ぶことは滅多になく、私は今のところ、母親が子供に対して癇癪を起こしているのを一度も見ていない」
「日本の子供ほど行儀がよくて親切な子供はいない」
「日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子供のように笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである」
「この民族は笑い上戸で、心の底まで陽気である」
「日本の子供は、怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく」
「日本の子供は、決しておびえから嘘を言ったり、過ちを隠したりはしない。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜び、癒してもらうのである」
「家庭では子供が全てを牛耳っているが、それでもけっして、彼らが甘やかされてだめになることはない。分別がつくと見なされる歳になると、彼はみずから進んで君主としての位を退き、ただ一日のうちに大人になってしまうのである」
さて、皆さんはこれを聞いて、どう思ったでしょうか。
私は正直、「これは本当に日本の話ですか?」と思いました。
実はこれ、明治時代初期に来日した西洋人の目から見た、当時の日本です。
(『逝きし世の面影』渡辺京二著)
彼らは皆、日本の子育てに衝撃を受けたのです。
「なぜ、こんなに素晴らしい人間が育つのだ?」と。
西洋人の皆さん、同感です。
あの頃、我が国の教育には何があったのでしょうか。
決して、現代に生きる我々がだらしないと言いたいわけではありません。
優しさに溢れた、自立した人間が育つための何かが、当時の日本にあったということです。
私にはまだ、正解はわかりません。
一つ確かなのは、現代の日本は、子供に「やらせなければならないこと」「やめさせなければならないこと」が溢れているということです。
世の中は便利になっているはずなのに、平和になっているはずなのに、皆何かに追われ、何かと戦い、疲弊し、苦悩しています。
皆目的は同じはずなのに、何かがズレているのです。
教育の本質とは何なのでしょう。
我々日本の失われた教育とは、一体何なのでしょうか。


