ライバルという存在

【ライバルという存在】
誰かと競う、それは人が成長するための一つの要素です。
競うと聞くと、スポーツを連想しますが、仕事や恋愛でも言えることです。
私自身、幼い頃から体操競技に深く関わってきた人間です。
綺麗事を言えば、体操は個人競技であり、常に自分との戦いです。
試合中に自分以外の誰かが失敗したとか、良い点数を取ったことに気を取られていたら、心が乱れ自分の演技に集中できません。
しかしながら、競技である以上敵はいます。
点数が高い者が勝ち、低い者が負けます。
勝ち残った者が次の舞台へ進み、負けた者にその機会は訪れません。
つまり何が言いたいのかと言うと、結局は勝つために、相手を負かすために努力しているということです。
さて、私にもお互いの力を高め合うライバルがいました。
ジュニア時代、私が所属しているクラブには同世代が一人もいなかったのですが、県外の試合に出場した時、初めて自分と同じ年齢の選手たちと出会ったのです。
すぐに仲良くなり、ライバル視するようになりました。
石川に一人、新潟に一人、福井に二人。
生涯忘れることはありません。
彼らの存在は、私を大きく成長させました。
白状しますと、彼らは全員私を置き去りにして更に大きな舞台へ進みました。
初めは実力が近いと思っていたのに、中学、高校、大学、社会人と、結局一度も追いつけませんでした。
私が日本一になった頃、彼らは日本代表として海を越え、アジア一、世界一になっていました。
彼らの活躍が、私に手を抜くことを許しませんでした。
こんなに幸せなことがあるでしょうか。
とりわけ、「俺たちこれからライバルだ!」などと約束したことはありません。
もしかしたら彼らは、私をライバルだとは思ってなかったかもしれません。
それでも全然構わない。
私が彼らをライバルだと思い、「あいつらに勝ちたい!」と執着し、努力できたのですから。
思えば兄弟などは、最初のライバルかもしれません。
親の愛情を取り合う、片時も離れることのない好敵手です。
兄弟に限らず、保育園や学校に通うようになれば、きっとライバルが現れます。
小さなことで争い、互いを高め合える、そんな相手が。
数ある人間関係の形の中でも、私たちを大きく成長させてくれる存在こそ、ライバルなのだと思います。


