非認知能力は狙って身につけるものでは無い

【非認知能力は狙って身につけるものでは無い】

近年、非認知能力という言葉は教育においてキーワードとなっています。

非認知能力というのは、簡単にいうと数値化できない能力のことです。

例えば、「思いやり」「粘り強さ」「発想力」などといった力になります。

人が生きていく上で大切なのは、認知能力(学力テストや体力テストの結果)よりも、むしろ非認知能力だというのは納得できます。

いくら勉強ができても、足が速くても、相手の気持ちを理解する力や自ら考えて行動する力が無ければ、社会で苦しむかもしれません。

そして今、非認知能力を高めるための教育プログラムがたくさん考案されています。

しかし、非認知能力というのは、大人が狙って身につけさせるものではありません。

様々な経験を通して、子供自身が気づき得ていく能力全てが非認知能力なのです。

「人の気持ちを考えなさい」と一生懸命指導しても、相手を思いやる能力は育ちません。

状況によっては、「大人を納得させるにはどう振る舞えば良いか」という思考回路が育つでしょう。

それもまた非認知能力ですが。

非認知能力の向上に限って言えば、子供を放っておくのが一番です。

「何をしなさい」も「何をやめなさい」も言わず、ただこの世界を全身で感じさせることです。

その中で本人が何を感じ、何を得るかは、その時何が起きたかによります。

偶然の積み重ねで身につくのが、非認知能力なのです。

先日読んだ本で、著者が非認知能力についてこんな表現をしていました。

「これからの時代をたくましく生きていく上で子どもたちが身につけるべきだと大人たちが思い込んでいる、存在するのかどうかすら怪しい曖昧な力すべて」

これは皮肉混じりですが、言いたいことはよく分かります。

結局は大人のエゴだという話は置いておいて、非認知能力とは目に見えない曖昧な力です。

「人を思いやる力を持って欲しい」と思っているその子は、もう十分に思いやりの心を持っているかもしれません。

しかしそれは数値化できないし、本人がその力をどう活用しているのかも判断できません。

非認知能力とは思考回路、つまり人の『心』そのものです。

性格と言っても良いかもしれません。

それをコントロールし、狙って向上させるというのは違和感があります。

心配しなくても、人は必ず成長します。

世界と関わる中で世界を感じ、人と関わる中で人を感じ、自分と向き合う中で自分を感じていくものです。

何かを与えるのは大人の役割かもしれませんが、何を感じるかは子供次第ですし、そこから何を得るかは子供にも分かりません。

大人はたくさんのものを与えていくしかありません。

それは形あるものや体験でなくとも、子供がぼーっとする時間でもいいのです。

自分に降りかかったあらゆる事象から得たもの全てが、その子の生きる力になります。

どんな力を得るか分からない。

それだから教育は面白いのです。

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