勉強とは喪失である

【勉強とは喪失である】

千葉雄也さんの書かれた「勉強の哲学」という本が面白かったので、少しだけ内容をご紹介したいと思います。

勉強というのは、一般的に情報を得ることです。

何かを得るのですから、世界が広がると考えるのが自然です。

世界が広がるのですから、できることが増えるのではないかと思うでしょう。

しかし、本質は違います。

勉強とは、できないことが増える行為です。

勉強の目的は、「知っている」状態を目指すことですから、「知らない」状態を考えてみましょう。

「無知」とは凄いのです。

好奇心、欲望、興味関心の赴くままに、後先考えずに行動できる。

要するにバカができるというわけです。

それはとても快楽的で、時に大きな成果を出すこともあります。

「若い頃はバカをやった」

ではなぜ、今はしないのでしょう。

それは、勉強したからです。

これをした時にどんなリスクを伴うか、何が起こるかを予測できるようになってしまったからです。

ならば勉強をし続けると、最終的に全く身動きが取れなくなってしまうのか。

そんなことはありません。

学び続けた先、人はまたバカができるようになるそうです。

私はまだ、その領域に行ってないので分かりません。

私たちは皆、最初は何も知らないバカです。

そして勉強をして、社会に同調する中でバカをしなくなる。

それでも学び続けていくと、ある日気づく時が来る。

「そうか、このために自分は学んできたのか」と。

そして、再びバカに戻る。

千葉さんの言う「バカ」が何なのか、それはきっと学び続けた人にしか分からないのでしょう。

学び続けた先に何があるのか。

それを知るためには、一度失わなければならない。

だから我々は、失う覚悟を持って学び続けなければならないのだと言います。

それが勉強の哲学、学びの本質なのかもしれません。

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